『東亜先覚志士諸霊録』に載ってゐる人々

 彼岸になったので早く暖かくならないかな。
 『東亜先覚志士諸霊録』は頭に「紀元二千六百年記念」「黒龍会創立四十年記念」とある。
 昭和15年11月15日に執り行はれた東亜問題先覚志士慰霊祭に合はせて作られたと思はれる。12頁建ての新聞体で、実物は変色してもろい。「中央」「朝鮮関係」「満洲国」「満洲支那関係」「露西亜関係」「泰国及仏領印度関係」「比律賓及南洋関係」「中南亜細亜及印度関係」「中央の部追加」にそれぞれ物故者の氏名、郷貫、没年月、年齢、事歴がずらりと並んでゐる。
 いはゆる右翼だけでなく、政治家や軍人も多数。黒龍会として、誰の霊を祭ってゐたかがわかる。伊藤博文福沢諭吉中江兆民榎本武揚らも含まれ、基本的に『東亜先覚志士記伝』下巻の列伝を踏襲してゐるが、比べると違ふところもある。大杉栄遺骨奪取事件の下鳥繁造は、『記伝』では(支那革命援助)と記されてゐるが、『諸霊録』では「黒龍会、満蒙問題」とある。大化会会員だったが、黒龍会にも入ってゐたか。
 『記伝』が刊行された昭和11年以降の物故者の情報も見どころ。昭和12年12月没の河合徳三郎の事歴は「東亜諸問題」。昭和13年没の伊藤仁太郎は講談師の伊藤痴遊。ここでは政治家や対外問題としての面で入ったのだらう。昭和15年7月没の群馬の岩田辰三郎は「二恩会代表、東亜問題時事を慨し自刃」。そんな人がゐたのですね。昭和15年3月没の岡悌治、昭和15年10月没の平野小剣もゐる。
 女性は少ない。長野出身の塚平以勢は昭和3年12月没。夫の権八とともに立項。「東京対陽館女将、支那問題関係者後援」。
 熊本の野上キクは「通称西伯利お菊、西伯利出兵ノ際活躍」。没年と年齢は空欄になってゐる。隣に「姓名不詳(モスコーの床屋)」も立項されてゐる。
 満川亀太郎はゐるが、北一輝はなし。そもそも二・二六事件関係者は一人もゐない。昭和15年没の篠原市之助はゐる。事歴は「五・一五関係、特務機関、満洲諸問題」。
 慰霊祭の次第によれば主催者は葛生能久、後援者代表として頭山満。来賓に近衛文麿松岡洋右東条英機、及川古志郎、秋田清、柳川平助、松平頼寿、小山松寿に加へ満洲国大使の阮振鐸。講演者に松井石根、本多熊太郎、佃信夫。国家的な行事だったことがうかがへる。東条は父の英教、近衛は父の篤麿が立項されてゐる。
 以前の慰霊祭に詠んだといふ内田良平の和歌も載る。「大陸の御先き拂ひをなせし人祭るぞうれし今日の佳き日に」