田中義一に助けを求められた内田良平

 『心霊研究』(日本心霊科学協会)の昭和33年11月号に、田中信成が「N氏の心霊談」を書いてゐる。飛行士の徳川好敏の邸だったところに移り住んだ田中氏。そこでN氏から奇妙な心霊談を聞いたといふ。大本教の宣伝使だったといふN氏の経歴に目を引かれる。N氏本人の語るところによると、

元右翼の壮士で言論機関も持ち内田良平の門下、東京で邪教撲滅大講演会を主催して、一時大本教をつるし上げたこともある愛国運動を業とするその道の指導者であった

 心霊談に登場するのは出口日出麿、田中義一内田良平。田中信成の煽り文がものすごい。

思念感応によるすばらしい霊波の電光石火的感動!三巨人が場所を隔てゝ同時同時刻同一病状の苦悶のうめきにのたうちまわる不思議現象!!

 昭和の初め、内田は日出麿を昼食会に招待。名剣天国(あまぐに)を贈呈すると、日出麿はご神体ともなる宝剣だと感激し、お礼に念を込めた手形の色紙を贈った。
 その後の10月3日、内田は藤山雷太、徳富蘇峰田中義一らと会合。翌日、内田はひどい痛みに襲はれる。

『何しろ突然心臓の辺りから胃の辺りへかけての激痛でね。物も言われぬ苦しさじやった。電話でわかったが丁度田中の死んだ時間じや、奴この世では大臣じゃのと威張っていても死んでみるとサッパリあかん。大勢の鬼どもに取囲まれて地獄へ引きずり行かれるもンじゃから、苦しまぎれに僕ドンとこへ助けてくれと来おったのじや』

 そこで内田夫人が日出麿の色紙を夫の胸に乗せて祈ると、痛みが治まり助かった。あとで田中信成が日出麿を訪れると、丁度その時刻に日出麿も苦しんでゐたのだと聞かされた。田中義一の霊は内田良平から追ひだされたので、今度は日出麿に取り憑いたのだといふ話。
 
 実際の田中義一の命日は9月29日なのが気がかりだが、内田の刀剣好きや福岡弁が盛り込まれてゐて、なかなか真実味がある筋立てになってゐる。