伴林光平の心境を体験した茂呂宣八

 続き。真如親王奉讃会には鈴木善一の他にも、神兵隊事件関係者が加はってゐた。栃木出身の茂呂宣八は、終戦後も徹底抗戦を主張し愛宕山に立て籠もった後に自決した尊攘義軍十二烈士女の一人。
 『大願』では毎号のやうに編集後記を執筆。役員一覧には名前がないが、編集の実務を担ひ、活動日誌によれば調査や出張も行ってゐる。
 神兵隊であったならば神道を奉じるべきなのに、なぜ仏教の真如親王を奉讃するのか。編集後記を辿ると思想の一端がわかる。昭和18年5月号では2頁にわたって思ひを語る。

国学の真義は、皇国の志を闡明するに在る。単なる我が国固有の文化を墨守するのみでは、皇朝の道に忠実であるとは云へない。大度宏量世界の文化を摂取消化するところに日本の偉大さがあり、無窮の大道がある。世の日本主義者は仏教界の現状を看て直ちに仏教を否定する愚をしてはならぬ。

維新の精神とは、真なる神を求めて愈々努力精進することでなければならない。未だ階段の途中に居るのに既に二階に上った様な思ひ上つた自惚れは、求道者の最大禁物である。自己維新を疎かにして傲然と、神棚や仏壇に坐つてゐる者は神仏を私するものであり、国体を冒涜するものである。

 10月号では、『公論』の10月号は「悲しむべき軽薄なる廃仏毀釈号であつた」と批判。

仏教や儒教の弊害は固より少しとしないが其の我が国民精神の健全なる発達に益する所また甚大なるに眼を蔽ふてはならぬ。(略)昭和の神風連を以て任ずる者は克く克く此の事を念頭に置いて仮初にも神意を僭称するの過を犯してはならぬ。

 仏教に弊害があることは認めるけれども、よいこともある。外国のよいところも日本に合はせてとりいれるべきだといふ。
 終戦を認めずに愛宕山に立て籠もったのも、真如親王奉讃の夢のためだったのだらうか。本当のところは本人にしかわからないが、別の資料を見るとさう単純ではなささう。

奉讃会に居た頃、その仏教思想の矛盾と僧俗名士を列ねた半官製運動の弱点を同志に指摘されるや久しき苦慮熟考の末、遂に決然として自論を擲ち、猊下閣下御歴々の懇篤に引止めるのを振切つて奉讃会を脱し、伴林光平の「本是神州清潔民」の心境を体験し得たりと述懐した。(『尊攘義軍玉砕顛末―愛宕山十二烈士女』)

 同志らの指摘に悩んだ茂呂は奉讃会を脱退。僧籍を脱して維新の志士となった伴林光平のやうに、神州清潔民の心境だった。

維新の精神とは、真なる神を求めて愈々努力精進することでなければならない。未だ階段の途中に居るのに既に二階に上った様な思ひ上つた自惚れは、求道者の最大禁物である。