河野鉄憲『大祓詞新講』は会通社、昭和10年5月発行。103頁。
大祓詞の解説書といふと堅苦しさうだけれども、この冊子では大祓詞の現代的解釈を、世相に引き寄せて、話し言葉で親しみやすく論じる。著者独自の解釈が面白い。
冒頭では、ジャーナリズムを賑はせる「日本精神」「日本主義」について、喜びの一方、危惧の念も抱く。
ジヤアナリズム、少くとも社会を導き明日の日本を建設するための新聞雑誌が、デパートの流行装身具のやうに、『日本主義』とは『昭和九年の流行品にて候』の調子の物であれば、なんと余りに悲しきものではないでせうか。
本当の「日本主義」を知るためには、大祓詞の内容こそふさはしい、と解説する。特異なのは国津罪、天津罪の箇所。たとへば「畔放」(あはなち)は普通、田の畔を壊して耕作できないやうにすること。これは産業や社会機構の破壊であると解釈する。
つまり畔放とは、マルクスやレーニンが言つた。[、]共産主義や無政府主義と言ふものと、一寸も変つてゐないのであります。畔放と言へば古い言葉のやうで、何か一向御存知のない人々が多いのですが古代日本民族は数千年前に、ちやんと如斯したことを言つてゐます。これは私が何も理屈をつけたのではありません。語源から調べても事実から見ても間違ひのない事であります。
「頻蒔」(しきまき)は種を二重に蒔くと、養分が少なくて芽が出なかったり、苗が貧弱になってしまふこと。これも単なる農業上の禁止事項ではない。競争社会や都会生活、サラリーマンの急増を指すのだといふ。
つまり荒魂の充足が総ての目的であります。『俺も俺もと、この夢を見て月給取』を蒔く。蒔かれるのですから、日本はサラリーマン洪水であります。したがつて多いからロクに育たぬ苗、水田の泥の中にある種子、つまり稔らぬ稲が沢山ある。これが即ちインテリ失業者群であります。
このやうな主張を民衆に広めようと、河野が作詞したのが「おはらひ音頭」。
ハア 国の議会は 神代に起る ホラシヨ 捧げ奉らむ 一票を 一票を
ハア 天狗荒鷲 こはくはないが ホラシヨ 敵の飛行機 油断すな 油断すな
などど続く。
河野が描いた神々の絵も載ってゐて、多才ぶりが見て取れる。