「クスリは星、政治は比佐」の比佐昌平

 『日本雄弁家名鑑 現代名士推薦』は『雄弁』昭和10年4月特大号の付録。創刊25周年記念。青木得三から鷲澤與四二までに故人44人を加へた420人の雄弁家が紹介されてゐる。
 特色の一つは紹介文の中に、弁論の様子を盛り込むやうにしたこと。もう一つは顔写真、業界でいふところのガン首が全て揃ってゐること。どんな顔だったかすぐに思ひ浮かばない人の写真も並んでゐる。ほぼ同じ時代の写真ばかりなのも重宝。無責任に批評するのによい。尤も政治家など、現代では無名の人も多い。
 「クスリは星、政治は比佐」のポスターで有名だったといふのは比佐昌平。富士額と口ひげが特徴。選挙区での星一対立候補。選挙は比佐の方が強かったやうで、

鍛へに鍛へ、練りに練りあげて来た弁舌は、非を打込む隙がない。選挙区に於ても、此の言論一点張で押通すので、いかなる金力候補と雖も、氏の好敵手としての太刀打は難しい。

「金力候補」といふのが星一だらう。この紹介文だと、金で選挙運動をする星に比べて、比佐が言論のみで堂々と戦ふ正義の士のやうだ。
 国民同盟の代議士、杉浦武雄は菊池寛に似てゐて、よく間違へられたといふ。なるほど髪型は違ふが顔の造作が似てゐる。
 個人的には隣同士の清沢洌と北署吉が、口ひげといひ眉毛と目の感じといひよく似てゐると思ふが。
 明治30年生まれの浅原健三、明治34年生まれの津久井龍雄の写真が若い。髪がフサフサしてゐる。
 物故者の舎身居士こと田中弘之はいかにも僧侶のやうな穏やかな顔つき。しかし、「不正不義に対しては、蛇蝎の如く忌みきらひ、その演説中に於て、激越なる言葉を吐くことも珍しくなかつた」。
 丸眼鏡の林逸郎は「五・一五事件の弁護士として、突如として売り出した少壮弁護士」。

機知縦横、かてゝ又、情熱が火のやうに燃え上つてくると、其のまゝ其処にぐづと泣伏して了ふやうな態度である。氏の弁舌の反響の大なるに驚いて、一時、当局は、氏に対して、箝口命令を下したと聞いてゐる。

 演説の途中で中止を命令されたといふのはよく聞くが、ここでは影響が大きいのであらかじめ喋るなと言はれたらしい、といふ。 
 武田豊四郎はターバンと外国風の服が異彩を放つ。演説の影響力も林に負けてゐない。

昭和三年、香川県全都に亙り、北署吉、若宮卯之助両氏と共に、赤化排撃講演を試み、壇に登ること四十余回、数十万の県民を感動せしめ、つひに同県の共産系労農民組合崩壊の因を作つた。