検閲官に感謝する鄭然圭

『皇道理論集』は鄭然圭が国体や神道、皇道についての理論をまとめたもの。昭和17年5月刊。
 著者は朝鮮出身で、神話や日本の歴史への、半島や大陸の影響を論じる。日本にとって進んだもの、よい物がもたらされたといふ説が多いなか、鄭は悪影響を取り上げる。
 鄭は、神話の神々は超自然的な、不思議な神霊などではなく、実在した人間のことであるといふ。

 皆様の考へてゐる神様観念の大半は理想神の想像神であるが、そんな神様が果して日本にゐるだらうか。皆様も知つてゐる通り日本の歴史は高天原よりはじまるのであるが、高天原の神々は皆その昔実際に高天原に住んでゐらせられた方々であらせられて、人間であつて想像上の神ではない。

 天之御中主以下の造化三神が天地万物を産んだなどといふのは朝鮮から輸入された虚説である。日本国を生んだいざなぎ・いざなみ、天照大御神神武天皇を国体御三神とし、各戸で奉るべしと説く。
 皇道主義と皇道破壊主義の別にも紙数を割く。両者は名前が似てゐても全く別のもので、暴力的な皇道破壊主義を指弾する。危険な破壊主義が先にあり、皇道の名前の下にそれを実行するやうになった。二・二六事件もその一つである。

日本におけるこうした破壊観念もやはり外来観念であつて、日本本然の国体観念においては斯る破壊思想観念の発生すべき余地はないのである。ところが大陸より伝へられて来た外来観念をば、日本本来の皇道観念ででもあるかの如くに誤解して、こゝに荒唐無稽きはまる皇道破壊思想観念を生むに至つたのであつて国内にその破壊観念が甚だしくなつたのは、支那から道教思想と仏教思想とが伝へられて来た頃からではなからうか。

 平和な日本に、大陸からの悪影響として破壊思想がやってきたと説く。
 このやうな鄭の研究は、なかなか理解されず、迫害され、皇の字を用いることも禁止されたといふ。ここで意外なところから味方が現れる。

世に鬼ばかりはゐなかつた。私を最もよく知つてゐる警視庁が――検閲課並に内鮮課の諸賢がよく信用してくれて、或は陰に或は陽に私をかばふてくれたことを私はどうして感謝せずにゐられよう。殊に私が困つてゐる時に色々と助けてくれ、よく助言してくれた。又内務省の検閲官諸賢にあつては、短気な私と満面朱を注いで論じあつたことは決して一再ではなかつた。

私の説いてゐる皇道思想はこうした検閲官諸賢の親切な指導の賜りものであつて、斯くも熱心に導いて育てゝくれた諸賢のことを私は今でも決して忘れてはゐない。検閲官といへば世間からは往々にして誤解されやすい役目であるにもかゝはらず、こうした隠れた美談もある。感謝せずにゐられるだらうか。

 鄭と検閲官とは、顔を真っ赤にして何度も論じ合った。検閲官の仕事は黙々と読書するだけではなかったやうだ。検閲官の名前も挙がってゐて、ほかの資料からも在籍が裏付けられる。未然に発禁にされないやうにするには、このやうに直接検閲官の協力を得るケースがあった。