『警察協会雑誌』を読んでゐた谷口雅春

 文書伝道に力を入れ、紙の宗教ともいはれた生長の家谷口雅春。出版にまつはる逸話も遺る。
 『生命の教育』昭和12年2月号の『日本人型と張学良型』には初期の熱心な信者、H氏が出てくる。H氏はいつも『生長の家』のバックナンバーを風呂敷に包んで持ち歩いてゐた。

『こんなに、もう表紙が摺り切れる程に読みましたよ。この雑誌は又と得がたい雑誌で真理の源泉とも云ふべきものですからもう一冊づゝ揃へたいですから旧号から再版して下さつたらどうでせう』出版にまだ素人のH氏は、一冊づゝでも再版し得るやうに思つてゐられるらしかつた。
 私は雑誌は一冊や二冊は再版し得ないこと、その時代には紙型をとつて置かなかつたから若し強ひて一冊や二冊を再版すれば、その一冊が何十円にもつくことを話した。印刷上の知識も参考に話した。するとH氏は無雑作に、
『再版すれば、五百や千部は直ぐ売れますよ。』と云ふのだつた。

 とても良い雑誌でも、再版するとなると高くつく。「印刷上の知識」ともあるやうに、谷口は出版の仕組みにも詳しかったやうだ。
 しかしH氏の話を聞くうちに、『生長の家』を再版してもよいと思ふやうになった。ただし雑誌そのままではなく、順序立てて読めるやうにする。さうしてできたのがいはゆる黒革版の『生命の実相』であった。H氏がゐなければ『生命の実相』は出版されなかったかもしれない。ただしH氏は生長の家の誌友名簿をあれしたり、本の代金をあれしたりして、谷口と袂を分かつ。
 1月号の巻頭言「神の子の自覚」では、生長の家が当局により弾圧されるのではないかといふ危惧に対して、その心配はないと論じる。その根拠として、『警察協会雑誌』の昭和11年11月号に載った内務事務官、秋吉威郎の「日本精神」を挙げる。
 秋吉は、皇室は我々の宗家、我々日本国民は分家であることは歴史上の事実だと説いた。

筆者は保安係の内務事務官であり、雑誌も亦、警察方面の専門家を教育する雑誌であるから、これは内務省の取締方針を明示した国体論であると思ふ。『我々は大本家たる皇室から分れ』と云ふのは、そして『皇室』が『神』に坐すとすれば、その分家たる我々は当然『神の分家の子』即ち『神の子』である筈である。

 内務事務官が『警察協会雑誌』に書いたものを読んでも、生長の家が不敬思想でないことは明白だといふ。だから安心してよいと谷口は言ふ。
 しかし実際は『生命の実相』の一部が発禁処分になるなど、谷口の論には無理があった。『警察協会雑誌』は取締の方針を明示したものではなかった。
 
 じゃあどうすれば発禁にならずに済んだのか、といふのはまた今度。