2015-01-01から1年間の記事一覧

幸徳秋水も難波大助も祀るべし

続き。何かと賑はってゐる神田明神。『革新』の無署名子が「珍学説 平将門を神に祭った話」で取り上げてゐる。 大義名分を八ヶましく云ふ日本国民が、逆賊平将門を、皇都の中央神田その他に、神として祭り上げられて居るのが分らぬとの質問があつたが、これ…

三井甲之「美濃部氏の態度は個人的失礼の標本」

『革新』は埼玉・秩父の発行、編輯兼発行印刷人は革新社代表の関根正作。手元の昭和10年4月号は6巻4号で、全38頁中、美濃部達吉問題に多くの紙数を費やしてゐる。 三井甲之「知識的理論よりも情意的動機に帰すべき美濃部憲法論の凶逆性」は、美濃部の…

天職のやうに新聞を読まれた昭和天皇

続き。「宮廷記事の書き方」は藤樫準二・毎日社会部顧問と田中徳・共同社会部の対談形式だが、話題は書き方にとどまらず、記者生活の回顧、天皇と新聞など多岐にわたってゐる。 これによると昭和天皇はよく新聞をお読みになった。「新聞は天皇の天職のように…

秋山安三郎「新夕刊は東京で一番悪い新聞」

『新聞講座 編集編・Ⅱ[東京講座]』は日本新聞協会の発行。昭和24年5月25日発行。定価3円。手元のものにはグラシン紙のやうなのが貼り付けられてゐる。 序によれば前年の編集編が好評で多数の注文を受けた。「その主な理由は内容が専門的でありながら現…

救癩事業でヘルストロンを寄贈した笹川良一

世界紅卍会日本総会が発行してゐた月刊誌『日本卍字月刊』。編集発行人は林出賢次郎、笹目恒雄らが当たってゐる。合本を読んでゐたら、笹川良一がよく出てくる。笹川は道名を正謙といひ、昭和42年9月10日の訓令で東京総院の首席責任統掌になってゐる。…

式場隆三郎の病院で息子を亡くした岡村二一

東京タイムズ創立者で共同通信副会長などにもなった岡村二一。『岡村二一全集』(永田書房、昭和59年9月発行)全二巻がある。題字は中西悟堂、装丁は李友唯。第二巻が随筆・小説といふことになってゐる。もっとも「わが人生」「わが半生記」「小説 女の地図…

夕刊も無かった讀賣新聞

讀賣新聞が50,000号を迎へたさうなが、回顧の紙面では昔の様子がよくわからなかった。そこで高木健夫『読売新聞・風雲の紳士録』(昭和49年12月、読売新聞社)を読む。高木は「編集手帳」発案者にして初代筆者。帯の惹句に「回想の“名記者”群像」と…

ヘボ雑誌

『趣味 法律のうら表』は高山三郎著。科学や文明が発達した今、日常生活の安定のためには法律の知識が必要だといふのが本書の趣旨で、はじめは金の貸し借りや不動産売買について記す。 第10章刑法上の諸問題中、「執拗な広告屋」辺りから、怪しい商売人が…

毎週日曜日は神社でオタケヒ

『祖宗遺訓 平和の誓』(荒深道齊、純正眞道本部、昭和12年12月)の特色は、最終章、「雄誥の振興」にある。大声で発声するオタケヒは、太古から迎福撃魔に用いられてきたといふ。 皇軍の敵を突撃する時には必ず大声が発せられます。陛下の行幸の時にバン…

富士山で国体を解説した鈴木重道

『国体小論』は大日本神祇会朝鮮本部昭和18年11月に発行した小冊子。著者の鈴木重道は伊佐須美神社宮司で、前朝鮮総督府の祭務官。 43頁しかないが、自分の言葉で国体についてわかりやすく解説してゐる。 冒頭に著者の姿勢が表れてゐる。 国体に就いて…

杉本清作「本業は詐欺かゆすりか不徳記者」

杉本清作『通俗宣伝 犯罪と予防』は昭和3年7月、警眼社発行。警察関係の本を出してゐたところ。書名の通り、一般に向けて、事例を挙げて防犯の大切さを説いたもの。 火付け・窃盗・強盗・詐欺・恐喝・横領・誘拐・不良少年の各章がある。防火や防盗は分か…

井上孚麿のはしがきの歌

大村襄治は大正8年生まれの衆議院議員で、防衛庁長官も務めた。『歌集 こころの鉦』(千代田永田書房、昭和50年9月5日発行、非売品)刊行時の近影には、内閣官房副長官のときのものが載ってゐる。 大村は東京帝大で筧克彦の皇学会に入門。筧と井上孚麿に…

笹川良一「おかしな新聞だねえ」

『宿命の子 笹川一族の神話』読む。三男の陽平から見た良一を描く。700頁もあって、削らうと思へば削れたのではないかと思ふが、難しい言葉はないのですらすら読める。最後の方はちょっと褒め過ぎなところもある。船舶振興会が軌道に乗ると、金塊引き揚げ…

城戸元亮「今や、日本人は、闇の世界の住人になつている」

『食糧危機打開の秘鍵=残された最後の一手=』は昭和22年10月20日発行の小冊子。一体生活社叢書の第一冊として刊行された。 日比谷公園音楽堂で同年7月26日に開催された食糧危機打開大会の講演記録。 戦争が終っても、食糧問題は解決せず、餓死者…

のんびりした新民印書館で働いた山中林之助

『異端者の手記 激動の六十年を生きて』は、大阪の同刊行会から昭和59年11月に発行された。山中林之助の手記をまとめたもので、年譜もついてゐる。月刊『通俗衛生』、月刊『教育時報』でそれぞれ編集長。『教育タイムス』に本書の基になる連載をしてゐた…

筧克彦「神社は焼けませぬ」

続き。東京帝大で筧克彦の講義を聞いてゐた渡邊八郎。そのときはまだいはゆる神がかりではなかった。ただ、行政法の講義なのに「普遍我」「独立我」など、哲学的で独特な用語を用いてゐた。 渡邊は岡田虎二郎の静坐の会にも入ってゐて、ある日の帰り道、筧の…

渡邊八郎「『陛下の赤子』は『人権』の宣言なのだ」

以前、映画「天使のピアノ」の主人公として知られるやうになった石井筆子と、石井が経営した精神薄弱者のための滝乃川学園。そこで昭和20年以降、2度に亘り学園長を務めたのが渡邊八郎。 『渡邊八郎先生遺芳録』(昭和50年8月20日発行、同刊行会発行)…

空飛ぶ円盤のような話‐徳田球一の妹と矢野酉雄

『孤山矢野酉雄』は昭和39年11月20日発行、編集及発行者は矢野酉雄記念出版刊行会の非売品。明治30年福岡県生まれで、昭和38年11月20日に亡くなってゐる。 矢野酉雄は教育者、編集者、宗教者、参議院議員と幾つもの顔を持ってゐた。教師として…

日の丸掲げた銀座の八眞茂登

『私は知りたい』は「その話・あの話の質問応答誌」を謳った月刊誌。読者が知りたいと思ふことを書いた投書のなかから、編集部が選んだものを記事にするといふ体裁になってゐる。記事の冒頭に、投稿者の住所と名前が掲げてある。 自由国民社発行で長谷川國雄…

河上肇の霊を降ろした古屋登世子

[ 古屋登世子はキリスト教を中心にして、他宗も広く学んだとされてゐるが、神道との縁も浅からぬものがあった。 『霊感実録』は昭和24年7月25日発行。発行所は社団法人日本心霊文化倶楽部。発行人の正木大丈が代表者らしい。裏表紙にはReisodoのマーク…

紙の弾丸を贈った赤尾好夫

受験シーズンだから旺文社の、しかも赤尾好夫社長の書いた小冊子を読まう。 『国家の危局に際して青年に愬ふ』は「決戦の書」。全30頁。ホチキス留めで、紙の大きさも不揃ひで、表紙からはみ出してしまってゐる。 印刷は昭和20年5月20日、発行は5月…

村井斧助「咀嚼は神代よりの日本の特色」

『咀嚼と健康 『正しき食事』を提唱す』は昭和15年12月発行。本文74頁の小冊子。発行所は品川区大井原町の国民体位復興会だが、実態は代表の村井斧助が独力でやってゐるやうだ。 歯科医だけに、咀嚼の重要性について唾液の効用や食事の仕方を論じ、現…

横野晋作「真の日本人の健康は神饌の真食に依て増強される」

正食運動では桜沢如一以外にも、熱狂的な人がゐた。 『正食』は雑誌のやうな小冊子で、昭和17年8月発行。発行所は正食報国団で、著者兼発行人は食養会理事の横野晋作。はじめに日本人の不健康ぶりに痛憤してゐるのだが、書き振りが矯激だ。結核を取り上げ…

古本屋とエチオピアに渡った庄子勇之助

『千山万里の旅』(株式会社丸誠)は庄子勇之助の自伝。奥付では昭和61年春発行、同封の挨拶文には4月とある。庄子は、かの東亜同文書院に入学したものの、よい就職先が決められずにゐた。その頃、エチオピアのヘルイ外相が来日、それまで全く知らなかった…