新甫八朗「諸君、共産党は嘘つきだ」

 
 『敵中突破五千キロ 満州暴れ者(もん)』は森川哲郎著、徳間書店、昭和47年刊。書名には出てこないが、新甫八朗の一代記。
 大正2年生まれの新甫は上京後、芝浦工大で学生ストライキの指導者になる。頭山秀三や野間清治の応援を受け、学校側が雇ったやくざの万年東一らと対決する。
 表具の師匠、辻南山の縁で、頭山翁にもかはいがられた。与へられたのは「三麻斥」といふ書。

「中国でいちばん成功した者を祝う言葉だ。きさまは、まだ大成していないが、小才子ではない。必ず大成するだろうと期待がもてたので、きさまの一生を占ってみたのだ」

 この「三麻斥」いま調べてみると、全く同じ言葉は出てこない。禅の公案に由来する語で「麻三斤」ならある。これは「心眼を開けばどんなものにでも仏を見ることができる」意だ。
 建築家になり、満州に渡った新甫。徴兵されて北朝鮮に居たときに終戦になった。邦人が日本に向かって南下する中、新甫ら21人の集団は脱走し、満州へと400キロ逆走した。満州に残した家族に会ふためだった。

「俺たちだけで、満州に帰ろうじゃないか。南下すれば日本内地に近づく。自分の身だけは安全を保証できるが、満州にいる妻子を残して、自分だけ生き残りたいと思う者はいないだろう。どうせ死を決して軍隊に入ったのだ。もう一度死を決して、満州に再潜入してみようじゃないか? どうせ死ぬなら、満州にいる妻子とともに死のうじゃないか」

 ようやく満州で家族に再会した新甫。ところが昭和21年1月ラヂオで、日本に帰国した野坂参三の言葉を聴いて憤慨する。

満州に残っている日本人は、中国共産党およびソ連軍の庇護のもとに、安全かつ何らの生活不安もない毎日を送っている」
 なにィ、安全だと? どこを押せば、そんなことが言えるのだ。毎日、殺されたり死んだりしているんだぞ。
 生活に不安がないだと? 冗談じゃない。食いものも着物も金もないんだぞ。明日はどうやって生きようかと、先は真っ暗なんだ。

 新甫は満州に残された邦人の窮状を知らせ、引き揚げ促進を訴えるために、国共内戦下の敵中5000キロを突破する。途中、要人に会ったり、捕まって銃殺寸前になったりしながらも、日本に辿り着く。引き揚げ促進運動が盛り上がるなか、新甫が選挙に立候補し、街頭演説で主張しようといふことになった。新甫の演説はいつも同じ言葉で始まる。「諸君、共産党は嘘つきだ」。