丁度70年前の9月11日、東條元首相が自殺を図ったが、未遂に終はったとされる事件が起こった。しかしこの事件には、使用した銃などについて、不審な点があるといはれてきた。
『元首相東條英機大將自殺未遂説の謀略を暴く』(昭和62年12月発行)は、この事件に迫った執念の書。著者の坂井時夫は大正2年生まれで千葉・勝浦出身。出版元は著者の住所。手元のものには次のやうな紙片があった。
元首相東條英機大将自殺未遂説に関する当時の報道に錯誤多きものあるを知り、むしろ逮捕に当った米兵の誤射、又は米軍の何んらかの企みとも存念し、この疑問を解明し、日本人の汚名を晴らし、日本将来のため日本人が誇りを以って世界に飛躍する願いをこめて初版を配布しました
その後、東條家の三男と会って質問したり新しい資料を加へたりしてできたのがこの本だといふ。坂井は事件当時、自殺未遂を伝へる新聞を読んだが、そこには自殺にしてはあり得ない内容が記されてゐた。それから自殺未遂説の矛盾を論じてきた。浜田幸一が坂井の叙勲祝ひをしたときの話が直接の契機になり、千葉県議会図書室に請求して、当時の新聞を調べてもらひ、関連する記事を送ってもらった。この本は、それらの記事や資料を具さに検討したもの。
「閑職」は有り得るが「閑居」は有り得ないとか、「〜ている」は間違ひで「〜ていた」が正しいとか、資料の語句の細部まで論じてゐる。
結局、記憶の中にある記事は見つからないのだが、それは当時の勤め先の鴨川と千葉市とでは、新聞の版が違ふのではないか、占領軍の検閲があって、不都合な記述が無くなったのではないかと推理する。
占領軍の新聞の検閲が一日四六時中行われるのでなく、一日の特定の時間内に行われるものとすれば、この検閲の後と先きには検閲に漏るものが当然とされます、雑誌と違って新聞は一日の中発送先により、その内容が時々異るので一日幾回かは、輪転機の活字の組み替えをされるものと言われます。
個人的には、他の記事の記憶違ひではないかと思はれるのだが、坂井は想像と推理を逞しくする。
占領軍が「新聞報道取締り方針」を発したのも同じ9月。この方針と東條元首相自殺未遂事件が関係するのではないかといふ。
尤もこの本は引用と自説の区切りが曖昧だったり、途中から歴史観や外国視察、給与、超古代史の話になったりと、あちこちに飛ぶので目まぐるしい。
それでも伝手を頼って東條家に取材に行き、証言を得る部分もある。著者の情熱には並々ならぬものがある。
本の定価1800円はただの書籍代ではなく、解明推進後援費となってゐる。