辰野九紫「されば虚業家は好んで彼等を使嗾するのである」

 『虚業春秋』は双龍子著、思潮社刊、大正15年11月発行。著者はユーモア小説の辰野九紫の別名。

 本書は世上実業と称するものゝ中に、如何に多くの虚業の潜めるかを例示しつゝ、金儲けに手段を擇ばぬ悖徳漢が、紳士紳商として横行闊歩してゐる都大路の四ツ辻に立ち、西すべきか、東すべきかに迷へる、善良なる我国民に対して「進」(ゴー)「止」(ストツプ)の信号を発する、交通巡査の役を買って出たものである。

 世間で実業といってゐるものの中には、実は虚業が多いといふ。直接には武藤山治の『実業読本』に刺激されて執筆された。本当は五ヶ月早い6月には発行される筈だったが、引き受けてくれる出版社が見つからずに難航した。

目次を見たゞけでも「これは面白さうだ。」とはいふが、さて自分の所から出版するのは都合が悪いと、どこの本屋もイヤに尻込みする。その筈である。――A社の守り本尊の如き実業界の元勲がコツぴどくやツけてある。B書店の弗箱講義録の看板会長カタなしである。C堂の主人筋に当る名士も亦余り好い役を勤めては居らぬ。片々たる本書一巻を世の読書子に提供するにさへ、「情実」の為めには危く流産しさうになるのである。何ともイヤハヤではないか。

 目次を見せると反応はよいが、実は出版社の情実で、出版はできないと断られてばかりだった。なるほど目次がやけに詳しい。結局は旧知の思潮社主人の御蔭で世に出すことができた。奥付の発行者には中村久一の名が載ってゐる。
 会社の不祥事を暴き、実例多数を挙げてゐるので面白い。辰野は「われながら呆れる程、物欲に齷齪した生活に耽り」「卒業するまでには優に五人分の学資を費し辛うじて免状を頂戴した怠け者であつた」など、随所に自分の体験を交えてゐる。
 第九章「暴力」には当時の暴力団、総会荒らしなどが出てくる。

安田勤倹翁が不慮の最後を遂げたのは、労働ホテル建設資金の寄付を強要されて、断るに二十円紙幣一枚を以てした桁違ひの包み金であつた為め

 と、安田善次郎を刺した朝日平吾にも触れてゐる。尤もここでは鬱屈も義憤も名前もない「兇漢」「兇暴なる青年志士」でしかない。

 某富豪の娘の初節句で、二万円かけたといふのが夕刊に載った。翌朝、皇国××団長が「餓ゑに泣く細民の声聴えざるべし。われ天に代りてその雛壇を毀ち汝等の迷夢を覚醒せしめん」と脅しに来たので、お金を渡して帰ってもらった。それから国民××会、大日本××倶楽部とかが押し寄せるようになったといふ。
 辰野は彼らに対し、全否定はしない。債権取立てなどでは「確かに暴力団の手にかけた方が有効なことがある」ともいふ。

 彼等暴力を業とする者に主義政見あるは極めて稀である。金次第で昨日は東、今日西の御用命に応ずるの変通性に富んでゐる。されば虚業家は好んで彼等を使嗾するのである。