男の中の男、堀川辰吉郎

 『国粋』は大阪・天王寺の国粋社発行。国粋出版社発行の文芸雑誌はよく見かけるが同名異誌。
 こちらは大日本国粋会総本部の機関誌。第2年第3号は昭和6年4月号。東京・九州各支社を設けたとのことで頭山翁や田中弘之らの名刺広告が並び、表紙も一新したといふ。桜の花びらが文字にもかかってゐる。これから支社や支局を盛り上げてゆく人物として、堀川辰吉郎の名があり、「男の中の男 堀川辰吉郎君」といふ紹介記事がある。
 堀川は名刺広告では「大日本国粋会総裁秘書長 宣伝部長」。堀川は戦後、明治天皇の御落胤といはれるやうになった。さういふ人が宣伝部長に納まってゐるだらうかといふ疑問を抱きつゝ記事を読む。
 「もと名門の出」「普通ならば…優柔なる貴公子として育てられる身」。カットの刀は、若い時に靖国神社に持っていったのをモチーフにしたのだらう。鳩山一郎や鈴木喜三郎と親族であり、九州財界に勢力を持ち、いくつもの事業に関はってゐる。会社の顧問や社長もしてゐる。しかし「彼の本領は何処までも国粋主義者たることにある」「彼の如きは真に男の中の男である」とある。
 昭和6(1931)年に不惑、つまり数へ40歳になったばかりといふことは明治23(1890)年前後の生まれか。当時は教育映画の製作と配給を行ってゐて「伊太利ムソリーニ」も各地で映写させた。当時のムッソリーニ人気は高く、一條実孝公爵(また出た!)も同号で「ムツソリーニなど此頃各方面でよく引合に出されて居る」と述べてゐる。現在は一般の映画にも手を広げてゐる。

君の映画界に於ける勢力は九州、沖縄、朝鮮、満州台湾、山口県の各地に亙り、河合映画アシヤ映画、山口商会(右太衛門プロ第二部作品)の三社の映画配給権を有つてゐる

 九州とその周辺に勢力がある「キネマ界の一惑星」で、今後は大陸にも雄飛するだらうと期待されてゐる。写真を見ると羽振りがよささう。まだ髭は黒く小さい。

「男の中の男」といふ表現は、国粋団体としては最上級の褒め言葉だらう。ただ、映画事業に取り組んでゐるからとか、財界に影響力があるからだけではさうはいはないだらう。
 仁義を守ってゐるとか忠孝に篤いとか難題に挑んでゐるとか、何か情に訴えかけるものがなければならない。「名門の出でありながら」、民間人に身を窶して事業に当たってゐるといふ心根を汲むからこそ「男の中の男」といふ表現がでてこよう。
 ここではただ名門とだけあって、ご落胤とは書いてゐない。華族ならば誰々の息子だと言ってもよささうだが、さうしてゐない。実はご落胤だが、それを表に出さない忍び方が「男の中の男」といふ言葉になったのではなからうか。