窪田静太郎「皇祖皇宗に対して永遠無窮に存在する任務がある」

 窪田静太郎は社会事業家で内務官僚、枢密院顧問官などを務めた。貧困やハンセン病対策にも尽力した。『窪田静太郎戦時下手記 自分はどんな人間だったか』(平成4年3月、日本社会事業大学編集刊行)を残してゐる。「自分はどんな人間だったか」は昭和13年8・10月、14年8月、15年8月、17年2・9月の6冊からなる。
 巻頭に掲げられた油絵では大礼服に勲章を着けていかめしいが、この手記には戦時中の心の裡が率直に吐露されてゐる。
 窪田は岡山県出身で、黒住教の信者。東京帝大を首席で卒業した。特筆すべきはその歴史観、人生観で、本居宣長の所説を数頁にわたって引用して対話したり、儒教形式主義への嫌悪を露にしたりしてゐる。
 随所に神道の荒魂・和魂を用いて、世の趨勢を説く。窪田によれば、時代ごと、国ごと、人ごとにそれぞれ荒魂・和魂の多少や強弱がある。荒魂と和魂にはそれぞれ長所と短所があるので、どちらか一つだけが突出するのはよくない。両者の調和があるべき姿だといふ。窪田自信は和魂の強い性格だと自覚してゐるが、荒魂も必要だと認めてゐる。極端な好戦主義とともに、極端な反戦主義も排する。

今後何処まで荒魂が活躍するか極度まで行くとすれば其結果恐るべし。我邦の歴史の示すが如く適当の所で和魂が漸く活動して両者の調整宜しきを得ねばならぬ。然らざれば世界の破滅とも称すべき事態が来るであろうが恐くはそこ迄至る前に和魂が力を発揮して来るであろう。我邦の将来に付ても略々同様であろう。

要するに現下我邦は荒魂の勝ちて居る時代である、将来平和が来りた後に和魂が勝ちて居る時代も来るであろう。今事変の戦果として大陸経営の時代は尚荒魂の時代であろうが其後は如何が問題である。否長き将来には荒魂が静まりて和魂の時代が来よう。

此点に関して我国には神代以来神の心及人の心に難有い徳が備はりて居る、所謂直毘の霊即見直し聞き直す徳と祓清の禊の思想などである。悪い人や悪い事に出会っても見直し聞きなおし悪を祓ひ清め穢を禊して流して仕舞ふことである。此くすれば悪も善に換り悪人も神人の為に役に立つ者になると信ぜられ来った、此に於て寛容の徳は自から備って居るのであった。悪人だ悪事だとて之が殺伐絶滅を期することは神代以来の日本精神ではない。寛容して見直し聞直し生かすことが日本精神なのである。

 国民を絶滅させることは古来の日本精神ではない。これは他国民のことだけでなく、自国民にも当てはまる。

武力を以て世界制覇することを我国の最後の目標とするを聖詔の八紘一宇の御趣旨の如く解せんとする者がある。又之を以て皇室に最誠忠なる事業の如く考ふる者もなきに非ざるようだ。斯ることを人為的に武力を以て勝ち獲んと企てるが如きは、世界を敵に廻はさんとする者で真に皇室を無窮に尊崇せんとする者の企つべきことではない。仮に日本人が総ての点に於て世界各国人に優れりとするも、災は不測の間に伏在するものである。幾たびも亡国の危険を冒すことになる。世間往々乾坤一擲大事を決行せよと高唱する人がある。乾坤一擲は唯元気らしき口調として云ふのならば我国に於ては決して恕すべからざる不敬不遜の不祥事である。乾坤一擲とは間違ったら亡国も止むなしとの意である。皇国は国民何人も将又国民全部と雖亡国と為し得るものでない。皇国の興亡を堵[賭]し得る者は一人もない。皇祖皇宗に対して永遠無窮に存在する任務がある。此点に於て西洋諸国の如く国民の総意を以て興すも亡ぼすも勝手なりと考ふることは出来ぬ。

 武力で世界制覇しようといふ考へは、世界を敵に回し、日本を危険に晒すことになる。外国のやうな興亡激しいところなら亡国にならうと勝手だが、皇室の無窮を願ひ信じるならば、絶対に日本を亡国にしてはならない。窪田の主張は「我国では皇室の御安泰を常に眼中に置いて進退計画すべきである」に尽きる。
 誰よりも愛国者だといふことは認めながら、世間の愛国者に違和感を示してゐる。「何故か自分でも十分意識せぬ」が、愛国といふことを口にすることさへ憚る。続く。