小田十壮が首唱した蔣介石総統謝恩大会

 森三十郎の『憂憤録』は昭和49年5月、福岡の綜合国家学研究所発行。587頁もある。
 同書略歴によれば森三十郎は熊本五高、九州帝大を経て官途ののち福岡大学法学部長を務めた。担当は憲法行政法。のち名誉教授。ところが森は改憲よりも徹底した廃憲論者で、文章も激しい。
 各論説の最後を拾ってみる。「偽憲法を葬る不死鳥の胎動が感じられる。やがて羽ばたきを始めるだろう。今に見ておれ!」「どこもかしこも狂っている。暴れたくなるのは、全学連の学生暴徒のみではあるまい」「最早、問答無用、マン・ツー・マン方式で狙い打ちにし政治的生命を断つ荒療治を敢行する外はなかろう」「廃人化戦法とはノイローゼにして精神病院行を余儀なくさせる妙法である」…などと書き付けてゐる。すごい法学部長だ。
 朝日新聞批判もある。

 朝日という新聞は、左巻きの情報をよく提供してくれるという意味では、結構な新聞であるし、田舎新聞よりは知性があり抵抗を感じさせるので購読しているが、余り良い新聞ではない。国家の為になる様な社会の木鐸どころか、民主政治の為にもその敵の側に立っている良くない新聞である。

明治節の日から、朝日新聞を断って、毎日新聞に切替えた。赤猿共の情報をよく提供してくれるので購読していたが、こんな尻軽の性悪女の様な新聞を購読していたのでは血圧が上がるし、不快指数が上昇して肝臓に悪いから、キッパリ断った。偏向朝日は、民族の公敵である。我々の宿敵であると確信するからである。

 印象批判でなく、購読して批判してゐたが、結局やめてしまってゐる。
 朝日が取材しなかったので森が怒った催しに、「蔣介石総統謝恩九州大会」がある。これはかつて美濃部達吉を襲撃したことで知られる、小田十壮が首唱した。小田は昭和46年、癌に冒されてゐた。

此の高潔、高邁なる人物から、「自分は癌で余命いくばくもない。蔣総統も高齢であるし、終戦当時の恩誼に対しては是非とも謝恩の意思を表明して置きたい。関東や関西でやれないならせめて九州だけでもやろうではないか」と持ちかけられたのでは、退くに退けない。

 「蔣介石の恩誼」のことは、かつては反共の面などからも広く保守派に浸透してゐた。今は殆ど言はれなくなった。
 森は動員のため鶴田浩二水前寺清子を呼ばうとしたが資金難で中止。それでも2500人ほどが集まった。
 前夜祭には頭山翁の娘の虎吉婆さんが黒田節を披露してゐる。八月一日当日は山室三良福岡大学教授から谷正鋼に謝恩文が贈られた。
 

 ・今日現在で、あさ出版・PHP・産経新聞の3社から、玉音放送のCD付き新刊が出て並んでゐる。考へることは似てくる。