熊谷禎総「何故大祓の威力が発現しないのでありませうか」

 うかうかしてゐたら8月も終はりさうで、それはつまり大祓から二ヶ月が経つといふことになる。

 『皇道』といふ誌名の雑誌はいろいろあって、平野力三が編集したことが占領中になって問題視されたのは、政治結社皇道会出版部が発行したもの。試みに手元の昭和14年3月号(第7巻第2号)を閲するに、確かに奥付の編輯兼発行人にその名がある。三猿文庫の印が押してある。
 巻頭に「本誌の信條」が掲げられてゐる。最後の3項目めに

三、本誌は現代人ばかりでなく、五十年百年後の人にも読むで貰ひたい希望を有する。又是と共に後世史家の史筆を誤らしめぬためにも示唆し置くと云ふ抱負を持たねばならぬ。

 とあるので、どれどれと75年後に読む。
 著名人は執筆してゐないが、松永材の日本主義を論じたもの、ユダヤ謀略論、相撲尊重論など約50頁、しっかりとした機関誌になってゐる。
 その中に熊谷禎総が「すめらみくにの日本経綸書 大祓の権威」を書いてゐる。大祓の重要性を説いたもので、

 かゝる至厳の大祓を決行せずして天下国家を潔斎することは絶対に不可能であります。今の世の中を顧みる時は、正に世界的大潔斎を要する時でありまして、全地に大祓を宣るべき秋であります。今や世界は一団となつて動いて来たのでありますから、真の大祓が行はれねばならぬ訳であります。

 と高唱する。ところが熊谷はそのすぐ後に、大祓に疑問を呈する。

 然るに何故大祓の威力が発現しないのでありませうか。若しも今日の如き大切な時に当つて、この神事が霊威力を発揮し得ないならば、或は大祓の神事は虚偽であり形式に止まるものであるとの不敬な語も出はせぬかと恐れるのであります。否既に神職者の中にすらかゝる心根の人もある事を嘆くのであります。

 熊谷にとって大祓は単なる儀礼習俗でない。実現を熱望する真剣な神事であった。にもかかはらず世には禍事が相次ぐ。報はれさうにないので、不敬の念さへ生じさせてゐる。熱心な崇敬が、延いては不敬に亘ることになる。

 結局後論で、大祓詞の中の「天津金木」「天津菅曾」「天津祝詞」が真に行はれてゐないから駄目なのだとして、その検討をしてゐる。


 ・最新号の『別冊漫画ゴラク』、「思い出停留所」に移動図書館が出てくる。脇役でなく、話の中心。検閲官も登場。この作者は他でも、良いことも悪いこともする普通の庶民を描いてきた。尤もここではそれは他の登場人物に適用され、検閲官はまるっきり悪役なのだけれど。