眼鏡をかける理由は一つではない













 なんだかんだ言ってもやはり読書の季節は秋なんだなあ。
 読書人には眼鏡をかける人も多いかと思ふが、眼鏡をかける理由は一つではない。
 『生命ノ教育』の昭和10年10月号(第1巻第3号)は「近眼は治る」特輯号。発行所は光明思想普及会で、谷口雅春が監輯してゐる。
 治病を掲げる新宗教は珍しくないが、生長の家では近眼の治癒に力を入れてゐたらしい。
 生長の家関連の本を読んだら、視力が回復したり乱視や色盲が治ったりしたといふ体験談が多数載ってゐる。また、当時の人々の眼鏡観も語られてゐるのが面白い。
 上竹原清薫「眼鏡の要らぬ時が来た」では、近視者が増えた理由を説明する。
 一つは思想的傾向で、そもそも日本国民は「神代の昔から楽天的な、愛他的な純情其のまゝの長所を持つてゐた」。ところが仏教や西洋思想の伝来で日本人の精神が浸潤され、自己中心主義な性格になってきた。「心の目標が身の周りへと変化して来た」。近視眼的な考へが、肉体的にも近視眼者を生んだのだといふ。
 環境や遺伝の次に挙げられたのが「外貌との関係」。

 眼鏡に一種の魅惑を覚えた者で、眼鏡を掛けると『何となく権威がある様に見える』『学者らしい』とか、『才子らしい』とか、『芸術家らしい』とか、『重役らしい』とか、『とてもシヤンに見えるだらう』とか、『顔の調和がとれていゝわよ』とか云つた様な、実相の吾を蔽ひ、虚栄の吾を描いて、小さい自己満足を得ようとする潜在意識

 が肉体にも働いて、実際に眼鏡が必要になってしまふ。眼鏡願望の具体例が面白い。

 もう一つはなんと徴兵忌避のため。

眼の悪い者は軍人に採用されない。何とかして眼鏡を掛ける様になりたいと云ふ気になり、切角健康な眼に無理な考へを起して、強いて近眼になつたものも相当にある。斯る非国民的、退嬰的な醜い根性で近眼になる者が、最高学府に学ぶ学生諸君に多いことを、眼病専門医から聞かされて驚愕した。

 「近眼は治る」座談会には谷口夫妻、主筆の立仙淳三、治病体験者が参加した。これによると谷口自身もかつては眼鏡党で、自分でもよく似合ふと思ってゐた。しかし人から「近眼は治らないのですか」と聞かれ、初めて近視も病気だと自覚した。谷口は、病気は治る、そもそも存在しないといふ考へだから、掛けずにゐようと思ったら掛けなくても見えるやうになったといふ。
 立仙も近視で、日露戦争後の徴兵検査で、全く見えなかった。ところが係官に徴兵忌避者だと思はれて、甲種合格にされてしまった。それほど、視力を偽って徴兵忌避をした人が多かったさうだ。
 座談では、眼鏡を掛けたかったといふ「眼鏡の魅惑」が報告されてゐる。
 教員をしてゐた栗原清吉はかう云ふ。

『眼鏡は学問した人のかけるもの』と田舎の人は思つてゐるやうで、『眼鏡をかけてゐることが、インテリの仲間に入ることだ』といふやうな気持を持つてゐるらしく受取られたのでありました。

 度の入っていない眼鏡を掛けて得意顔の青年もゐたといふ。
 
 眼鏡を掛けたいといふ願ひによって実際に近眼なってしまった。さういふ人の治病も生長の家の御蔭だとされてゐる。そのやうな場合と、現代の科学では説明できないやうな、重病者の眼病治療が、両方混在して記されてゐる。
 
 眼を治した人には次のやうな名も。

 歌人の西村陽吉さんでございますね、この五六年来親戚のやうに宅とおつき合ひいたしてをりますのですが、あの方も『生長の家』に這入られまして、とてもおひどかつた近眼が完全に治つてお了ひになつたのでございます。(中橋和子)

 希望社経営の勤労女学校校長、岩崎吉勝も遠視と乱視が治ったと手記を寄せてゐる。