五色屋書房主「皇道に背くものは発行せず」






     


















 『神代の絵話』は丸尾博通著、五色屋書房刊。昭和11年3月1日印刷、同5日再版発行。頭山翁の揮毫がそのまま表紙の書名になってゐるのが珍しい。「神代」だけ字が大きく見える。途中で名前が入らなくなるのに気づいて、「絵」を小さくしたのでは…。富士山の絵は小室翠雲。

 著者は宮内省皇宮警察部や宮内省式部職に勤めた。その後、国民道徳講演会を組織、日本の神話を幻燈映画に仕立てたものを制作し、日本各地や朝鮮、満洲、ハワイなどを巡回した。同会には、お札研究のスタール博士も名誉賛助員になってゐる。

 著者がこの活動をしたのは、かねがね周囲の人間に敬神観念の不足を痛感してゐたから。郷里の岡山県、津山の青年からは、

神様といふても吾々と同じ人間であつて、生前に功労があつたから死したる後の霊魂を神として祀つてあるだけで、拝礼するの義務はあるけれども、之に向つて祈るといふことは間違つて居る。それは迷信といふものであつて、祈つても決して幸福を授かるとか、災難を免れるとかいふ霊験のあるべきものではない

 と言はれた。また和歌山県南牟婁郡の小学校校長から、「君の事業は時代遅れである」「現代の国民は神代の事を信ずる者はない」などと言はれた。
これらに対抗しようと通俗講演をすることになり、使用する幻燈の認定試験を受け、説明書も書き上げた。それが本書の基になってゐる。


 さてこの本の出版元が五色屋書房といひ、発行者は渡邊良平。住所は牛込区山吹町二七七番地。五色屋書房主の名で、9カ条の「報国出版の大道」が掲載されてゐる。昭和10年10月7日付。出版社の信条を述べたもので、かなり理想が高い。

三、原稿の良否は、肩書、世評に捉はれず、至誠を以て読者を感動せしむるの気魄全巻に横溢するや否やを以て鑑定す。故に著作者には斎戒沐浴、天地神明に祈請して執筆、以て畢生の著述たらんことを懇請す。

 執筆するときは体を清め、祈願を込めてからにしてほしいといふ。

四、名優の芝居は同じ狂言を何度見ても動かされるものなり。平凡なる真理を詳述せる書物も又此の理なかるべからず。苟くも書物を通じて世道人心の向上に資益せんとするほどのもの、このあたりに最も留意す。

 これは現代にも通じさうだ。

五、名著とは必ずしも新説、奇説を述べしものにあらず。博識多才の士の著述にもあらず、即ち形而下的には理路整然、用意周到に仕組れたる現代の学問から百尺竿頭更に一歩を進めて、道書たると否とに拘らず宇宙の大根本にして中心生命たる皇道に随順するところまで推理、推敲説破し得たるものを以て最たるものと信ず。

 たとへ道を説く書物でなくても、最終的には皇道に行き着かねばならぬといふ。

六、如何なる熱誠、如何なる名文を以てせる著述と謂へども、皇道に背くものは発行せず。又如何なる神道大家の著述と謂へども皇典たる古事記日本書紀に矛盾せるものは出版せず。

 記紀に矛盾するやうな、いはゆる偽史も出版されてゐたから、わざわざこのやうなことをいふのであらう。

七、本をこしらへるといふことそれがそのまゝ善事、善行とならざるの書は、如何に売れさうなものと謂へども絶対に出版せず。天の使命に背けるが故なり。

活動期間は短かったが、こんな出版社があったのだな。