『徳川家康』を生んだエジソンバンド

 知る人ぞ知る謎の健康器具、エジソンバンド。頭に巻くと冷却によるものか磁気によるものか、血行がよくなりよい働きがあるといふ健脳器だ。
 昭和30年代に流行ったといふ人もゐるが、戦前から存在してゐる。
 『いまなぜ家康か―父・山岡荘八徳川家康―』(山岡賢次講談社、昭和57年11月)を開くと目に飛び込んでくるのが、エジソンバンドを頭に巻いた山岡荘八の姿。


 






















長編小説『徳川家康』を書いた山岡はエジソンバンドを使ってゐた。

おやじはこのエジソンバンドを、戦前からずッと愛用し、戦後も原稿執筆時にはかならずこれを着用した。かつて講談社の代理部でもあつかっていたという関係からか、たまたま巻いてみるとぐあいがよく、とうとう「山岡荘八のトレードマーク」といわれるほどの、おやじとは切っても切れぬ縁のある?貴重品?にまでなっていた。
 そんなわけで、おふくろが「ハイあなた、これを……」とエジソンバンドを手渡すことは、つまり「さあ、お仕事の時間ですよ」とうながす合図にほかならなかったのである。
 効果はまさに覿面であった。
 「うーむ」唸り声をあげながらも、エジソンバンドを見たおやじは、まるで呪縛にでもかかったかのようにいつもの怒声にまではたかぶらず、やがていまいましげに「じゃあ、また……」と来客に断って酒席を起つ。そしてやおらエジソンバンドを頭に巻きつけると、二階の書斎へと消えていくのだった。

 死後は一緒に納棺したさうだから、現存はしてゐないやうだが、それだけ愛用してゐたのだらう。代理部は山岡を広告塔にしたりはしなかったのだらうか。
 著者の山岡賢次は義息で、のちに国会議員になってゐる。ただ近年落選し、ブログも更新されてゐない。生活の党だしなあ…。























『大凡荘夜話』(坤の巻、一二三書房、昭和34年10月)より。紫垣隆はいつ登場するのか。