武藤貞一「なほ米英が儼存するなぞとは夢想だもせぬ」 

 武藤貞一『論策集 日本刀』(統正社、昭和18年6月)は、昭和17年後半に『読売報知』に載せた文章をまとめたもの。武藤は大阪朝日の「天声人語」はじめ、いくつもの新聞に執筆、多くの読者を持った。
 早くからの対米英戦争主唱者で、見出しに「憎むべきグルー」「忘恩アメリカ」「銃後の殉国精神」などが並ぶ。それが日米開戦となって得意満面かといふとさうではない。学校では英語が教へられ、都内のホテルには英字新聞が置いてある。「この期に及んでもなほ思想戦態勢は確立に至らず、かへつて国民に向かつて敵愾心鼓吹の要を説かねばならぬとは情けない話ではないか」。
 緒戦の勝利に浮かれる国民を戒め、アメリカの強大さや戦争の苦難を指摘する。

まだまだ現在の程度の忍苦で完勝の域に入り得るものと思ふのは、あまりにも戦争を蔑如するするものだ。戦争は忍苦の大試煉である。戦争で疲労困憊するのは各交戦国共通の現象であつて、何ら物珍しいことでもなく、恥づることでもない。

われらは思ふ。この戦ひは、決して一塁一砦を抜いた抜かぬといつた問題ではなく、超、超、超長期戦体制のたゆみなき推進によつて完勝のゴールへ入るを得べき性質の戦ひたることを。

 戦意昂揚のためには、敵も強いといふことを言ふ必要があった。勿論、日本が弱いとか負けさうだとかいふことを避けながら。その匙加減ができなければ、戦意昂揚も難しい。
 英語排撃に戻ると、何しろ「超、超、超長期戦」である。戦争が終るのは未来の話になる。

戦後の世界に、なほ米英が儼存するなぞとは夢想だもせぬ。この大戦が終止符を打つの日は、同時に米英が世界地図の上から払拭されるか、それとも三流四流国としてわづかに余喘を保つ日であることを確信して疑はない。それでなくて、大東亜戦の意義いづくにありや。

戦後になほ英語の必要を想定するがごときは、その常識を疑はざるを得ない。多くの占領地に英語が行はれてゐるといふが、その占領地の英語を将来絶滅しなければ、到底これらの地に米英色掃蕩、皇道宣布の見込は立たぬのである。

 英語の即時廃止を唱へ、英語の翻訳は専門家に任せればよいといふ。
 今から見れば非常識な説だが、武藤には別の面もある。「推薦図書について」といふ文章を残してゐる。
 当時、夏休みの課題図書でもあるまいに、文部省などが推薦図書を指定し、普及を図ってゐた。武藤は是に異論を唱へる。

もし今後かゝる制度が調子に乗つて強化された場合、推薦図書は用紙配給、店頭陳列の優位獲得、その他販売上非常な恩典を蒙ることゝなるに反し、非推薦図書はすべての点で悪条件に置かれ普及すべきものも普及を遮られるに至るは必然と見ねばならぬ。かゝる場合、果してそれが国家社会の利益であるかどうか。

何もかも一定の鋳型に容れて、それ以外のものゝの普及を阻むといふのでは、必ず後悔する時があると思ふ。

 頼山陽の『日本外史』を例に挙げて、徳川幕府が推薦しなかった本でも、維新の志士を奮起させたといふ。自分の本を推薦図書にせよとは言はなかった。
 
 自序に「此間、筆者は何を語り何を叫んだかといふことは、将来永く一つの歴史資料の断片となることであらう」とある。