長澤九一郎「『氏子総代』の強化を以て所謂『新党』の任を果さしめん」

 長澤九一郎は転向者で、『生産権奉還』などの著書がある。遠藤友四郎と文体が似たところがある。
 『神皇一体の原義と氏子再組織=我等は「氏子総代」の強化を以て所謂「新党」の任を果さしめん=』といふ冊子を、翼賛社論策集(2)として昭和15年6月23日付で発行してゐる。
 第二次世界大戦の勃発やナチスの伸長により、日本でも一国一党論が起こった。長澤は政党ではなく、神社を中心にした政治組織を提案する。「氏子総代の強化」により、新党に取って代はるものにするといふ。

 現代の氏子総代は神社の維持経営に関する以外何等の関心を示さず、また神職もそれ以上氏子総代に期待をかけず、両者共々神社の真の使命が何処に在るかのことなどは馬耳東風、世界が何う変化しやうと一向関せざるが如き暢気な外見を呈してゐる。

 氏子総代の再組織のためには、選出方法も改める。
 選挙権は個人ではなく、一家を代表する戸主のみに与へる。女性でも戸主であれば選挙権が与へられる。これは後藤武夫の家長選挙論、内田良平らの純正普選運動と共通してゐる。
 氏子区域は不平等にならないやうに改める。社格も不公平にならないやう、産土神社を中心に統一する。現代から見れば特異な主張だが、今の選挙でも居住地宛てに投票用紙が送られることを思ひ合はされる。
 政党のやうな功利的組織は、再組織された氏子総代によって払拭される。「国会議員よりも寧ろ氏子総代に選ばれることをより以上名誉とする時代が早晩来るものと信ずる」といひ、議会は政府の諮問機関として単純化される。
 
 神話解釈も関連する。天照大御神を岩戸隠れさせたのは、スサノヲのみの暴虐ではない。これは当時の国民大部分の荒魂を例へたもので、岩戸開きは国民の総反省、総努力の結果によってもたらされた。

神社を中心に我々の生活態度を根本的に改め、我々の心をともすれば満さうとする荒魂を之によつて鎮め、我々の心に注連縄張つて只管に 現御神に仕へ奉り、以て御稜威の嚇きを愈々盛んならしめまつる

 日本神話により選挙民の意識改革を図らうといふもので、万事神社本位である。外来思想を徹底的に排除しようといふのは、やはり転向者の故だらうか。

 
 民主主義的傾向の復活強化といふのは、神代の神議りまで遡れるのではないかと夢想す。