トルストイを原書で読んだ平佐二郎

 続き。平佐二郎は平佐是純陸軍騎兵学校校長の次男。特務機関員で、他に檜山昌平、火山将軍ともよばれた。白系露人、セミョーノフの金塊事件と関はりがあるかのやうに新聞に書き立てられた。しかし新聞記者が山口の実家を訪ねると、非常に貧しい暮らしぶり。本人はいつも袖の擦り切れた軍服を着てゐた。
 平佐は林省三にたびたび、セミョーノフや極東共和国についての新聞記事を送って寄越した。日本に帰ってきた平佐は同志社で時局講演を行ひ、シベリア出兵やセ軍の動向を喋ってゐる。特務機関員なのに、写真も残ってゐる。 
 そもそも林は軍隊時代に平佐と知り合った。入営前に救世軍で活動してゐた林だが、なぜか折々に理解者が現はれて、信仰を全ふして兵役を終へることができた。
 平佐も何かと便宜を図ってくれて、消灯後もその部屋で読書をすることができた。

その頃は兵隊が聖書を所持することすらかれこれいわれる始末である。私は早速、友人の家に預けてあつた、大きな新旧約聖書を持込んだ。それからトルストイの著書やベンジヤシン、ギットの「社会進化論」、北輝次郎著の「純正社会主義の哲学」これなどは当時、甚だ危険視されていた書物である。
 そのほか新しい思想方面の書物をつぎつぎと持込んできては、真剣に耽読した。平佐中尉は、露西亜語専攻であるのでトルストイの著書は翻訳書による必要がない。語学の研究をかねて、原書を手に入れて私といっしょに読んだ。そうしてここぞと思うところは翻訳して私に示し、互に大に論じ合ったりした。
 宗教の問題、哲学、神について、信仰について、人生の目的等々、互に論じて夜の更けるのも知らぬこともあった。

 例外的なことだらうが、兵役中にトルストイ北一輝の本を読んでゐることに驚く。
 平佐は本書にたびたび登場し、長く交友を続けたことが分かる。平佐の学習院の同窓が加納久朗で、二人で大森の加納邸を訪問。

 加納も、この思いがけない縁故奇遇に驚き歓待した。妹の八重子(後の野田勢次郎氏夫人)、治子(後の後藤文夫氏夫人)、夏子(後の麻生太賀吉氏母堂)の三人も一緒になって、一日の歓をともにした。

 林の渡鮮にも、このときのことが役に立った。
 朝鮮で、結婚報告に来た平佐と再会した。相手はシベリア横断を成し遂げた玉井喜作の娘。「そんな偉い人の娘だから、きっとよい子を生むだろうと思って、僕は貰ったんだよ」と言ってゐる。すごい夫婦だ。
 同志社での講演が問題になったり、病気を抱へてゐたりで、平佐は軍人をやめてしまふ。そこで林を連れて、シベリア旅行に出てゐる。平佐は料理の食べ方や列車の乗り方、なんでも通じてゐる。行く先々での面会者も多い。

平佐の周囲をとりまく雰囲気が、どうも自分達にはそぐわぬもののあることを感ぜずには居られなかった。
 一体その目的と事業の正体がどこにあるのか、と疑わざるを得なかった。大勢の壮者はここに出入りするが、彼等は一体何を目的としているのか?

 林にとって平佐は親友でありながら、謎の人物でもあった。