朝日新聞調査部の切り抜きを読んだ徳川夢声

続き。岡田茂吉からNHKのラジオ放送をしたいと言はれた金川文楽

 教祖が録音の注意を聞くので、私はアナウンサーに何を聞かれても「こうです」と断定しないように、「私はこう思います」とそれから、科学や医者を頭から排斥しないよう、と、くれぐれもいっておいた。
 さて本番となると、大勢の信者を前に、アナウンサーのインタービューが始まった。ところがあれほど注意しておいたのに、教祖は聞かれるたびに、確定的に答えだし、科学を罵倒し医学を否定した。録音は二時間にも及んだ。

 これに懲りた金川は、水晶を神霊教の大塚寛一に譲ってしまふ。

 ところが、この岡田茂吉の言動をありがたがったのが徳川夢声だった。

『対談奥義 問答有用うらばなし』は昭和32年8月、有紀書房刊。徳川は『週刊朝日』誌上で、400回以上続く対談「問答有用」を連載した。これはその楽屋話をまとめたもの。宗教者は岡田や谷口雅春、北村サヨ、橋本凝胤らが登場した。

いままででハズレがなかったのは、教祖、学者、大名である。これは、必ずといっていいほどおもしろい対談がとれるのである。教祖ともなれば、ものを断言してくれる。ところが、一般の良識家、紳士階級は、ものを断言してくれない。そういう人たちは、
「こういう説もある。私は半分はそれを肯定するが、半分は否定する。」
というようなことをいう。

常識的なことをいふ人はつまらない。

その点、教祖たるものは、「これはこうである」とか、「おれは神様である」とか、「こういう病気は全部なおす。なおらないのは病気のほうが悪いのである」などと断言してくれるから、実にありがたい対談相手なのである。

 対談には、断言する教祖のほうがいいのだった。

 さて徳川の奥義の一つとして、朝日新聞調査部の利用があった。徳川は対談前には、古本屋で相手の著書を探すなどして、予備知識を得ておく。中には、向かふから資料を提供してくることもある。

森脇将光もお筆先みたいに毎日いろいろなことを日記につけていて、それがまた非常な速筆であるらしい。これは厖大なものになっている。そのうちの数冊をやはり読ませてもらったので、対談のときに助かった。

しかしこれは少数派だ。そこで調査部の資料を利用する。

相手が社会的の名士であれば、新聞社の調査部には必ずその人の新聞記事の切抜きを集めたものがある。それを読むことにする。場合によると、初対面の人で、切抜きだけですますこともある。それも、あまり前から読んでいると、忘れてしまう。新聞社のほうからは、三、四日前に切抜きを届けてくれたりするけれども、実はそんな必要ない。これから対談に乗りこむというとき、荻窪の私の家まで朝日新聞の車が迎にくる。その車に乗ってから、切抜きをひろげるのである。

 切り抜きには本人どころか、家族の履歴まで載ってゐる。対談でそれを話すと、そこまで関心をもってもらったのかと感動する。「調査部の切抜きというものが、私のカンニングのもっとも急所なのである」。徳川の話術もあったらうが、朝日新聞調査部なくしては400回も連載が続かなかったであらう。
 
 名前や組織が多少変はっても、似たやうな部署は今でも絶対ある(断言)。