古屋登世子が著した自伝『女の肖像』(アサヒ芸能株式会社出版事業部、昭和37年9月)。村岡花子や柳原白蓮の英語の先生だが、壮絶な生涯だ。
白蓮が書いた序文が只者でない。題は「不思議な存在」。
今更こし方五十余年の春秋を思うと、並々ならぬ縁の深さである。その先生、そもそもの初めは英語を私に教えたのが、今では心霊の話をして下さる先生。肉体の耳目に触れぬものを心の魂に聞える音と声を、その心眼にうつる霊界の姿を話す先生。
古屋の父は結城無二三。新撰組の参謀長だったと称してゐた。裏付けはないが、本書では誰も疑問に思ってゐない。キリスト教の伝道師だったのは確かで、徳川夢声が臨終記を寄せてゐる。
兄の結城礼一郎は国民新聞の編集長を務めた。アイディアマンで、東京からロバ、大阪から馬を歩かせ、どこで出会ふかといふ懸賞を募集。毎日、それぞれの場所を知らせる記事を載せて紙面を盛り上げた。
登世子も英語の才能を伸ばし、東洋英和女学校に入学した。花子と同じく山梨から上京した。他の学生は裕福だが登世子は貧しく、支給される25銭で遣り繰りするのが苦労したといふ。
卒業後、母校の英語教員に採用された。教へ子に水野葉舟の妹の菊子、村岡花子、白蓮がゐた。菊子は白蘭か姫百合、花子は紅薊に例へてゐる。
無理解な結婚生活に入って、愛児一人を残して破鏡の涙をのんだその菀子さんと、同じ想いに泣く私との間に、終生かわらぬ深い友情の絆が初めて結ばれたのもそのころのことであった。
病気や離婚にも負けず、要人の通訳、日本初のラジオ英語講座、英学塾の開校と邁進する古屋に降りかかったのが、通称古屋事件。障害者の社会事業家(書中では実名)らによる塾ののっとりに遭ひ、精神を錯乱、精神病院に幽閉される。毒殺を恐れ、食事も摂らない。仮死状態から覚めて戻った場所が悪魔の庁であった。
「悪魔大王は脂ぎった黒光りのする、巨大な体躯を、私の病室の天井の一角に現わし、ギロリッとその恐ろしい眼光でにらみつける」
「全世界の上に君臨する、おれの威力を知らないか、ナアーニ、キリスト教か。馬鹿も休みやすみいえ。いわゆるキリスト教の先覚者たちを見るがいい、そろいもそろって、おれの前にカブトをぬいでいるではないか。××牧師か、ハッハッ、今はおれの高弟だ、あの偽善ぶりの巧みさには、さすがのおれも舌を巻いてるよ。それでその独り息子をあっぱれ放蕩児に仕立ててやったのサ」
悪魔大王を退散させた古屋は、キリスト教だけでなく仏教、神道、一燈園、生長の家などに触れ、遂に病人を治す力を手に入れた。後半は、その実体験が述べられてゐる。