暮れ泥むのはどんなとき

『JAPANISM 03』読む。
表紙の特集、青山氏の名前なし。裏表紙にはあり。
p4…同じ文章で献灯と燈火が一緒に出てくる。灯の正字が燈なのでは。
p5…上のキャプション、暮れなずむ空なのにとっぷりと日が暮れてゐる。
「暮れなずむ」は暮れさうでなかなか暮れない、明るい情景の筈なのに暗い。そもそも暮れなずんでゐるなら、明るいので燈火が浮かび上がらない。

 暮れなずむと感じるためには、まづ実際に時間がたくさんある必要があって、少年少女や無職やニートや高齢者はその資格がある。他には心理的に退屈であったり嫌なことがあって、時計の針が進まないときにも暮れなずむ。楽しい時間が早く過ぎ去るのと逆である。外は明るくて心は暗いから暮れなずむ。

 目次…横田氏に半角スペース
 p30…アニプレック→アニプレックス、年号→西暦。僕たち→僕達
 p55…機関紙→機関誌
 p81…受賞→受章
 p97…幸三→公三
 p115…創正→創世 
 p132…日教組の髪型がコマごとに違ふ。
 p138…輝明→照明
 p149…自首→自主
 p157・160…戊辰の役以降→癸丑(ペリー来航)以来。この間の維新殉難者が祀られてゐるため、のちのに昭和殉難者をお祀りすることができた、といふ繋がりがある筈なのだけれど。
 p158…泰面→泰緬、難義→難儀
 p161…小野田寛朗→小野田寛郎、入館場→入館料
 p184…L11のみ二百四十六柱→二百四十六万柱

 スペシャルインタビュー、文化力とか日本の力と謳っておきながら、「アニメノチカラ」枠の不振について総括されてゐない。あれもオリジナルなのになぜなのか。