ピピピと言はない神宮大麻

 地デジ化により、何も対策をしないとアナログテレビが見られなくなりました。数年前から告知され、キャンペーンや相談会や諸々行はれてきましたが、やはり当日に停波になって、吃驚してチューナーやアンテナを求めに行った人も多かったやうです。
 それもこれも、停波したら今まで見られたテレビが見られなくなったからです。電波が受信できなくなったのが一目瞭然です。
 さて神宮大麻を頒布するときに、何で大麻を祀らないといけないのか、と聞かれます。そのときの回答例として、「神宮大麻はテレビのアンテナのやうなもので、これで神様の御神徳をかがふることができます」といふものがあります。「まあ、それならお一ついただかうかしら」となるかはわかりませんが、さういふ触れ込みになってゐます。
 しかし「大麻祀ったけど、何にも変はらないんだけど。お金返して!」といふ声も聞きません。実際はあるかもしれませんがごく僅かでせう。それもその筈、大麻を授ける方も受ける方も、目に見える御霊験なぞ期待していないのです。さういふ触れ込みなのです。却ってさういふ文句を言ふ人の方がよっぽど敬神家です。
 今回のやうに、テレビが受信できなくなったらすぐに大騒動です。しかし神宮大麻がしっかりアンテナの役割を果たしてゐるのかなぞ誰にもわかりません。なにせ本当に受信してゐるかどうかが目に見えないのですから。神宮大麻はピピピと言ひません。まあ実際のアンテナもピピピとは言ひませんが気分の問題です。
 もしかしたら、神宮大麻の御神徳は目に見えない所で働いてゐるので、現世利益を求めてはいけないのでせうか。

 話は変はりますが、地デジ化を機にもうテレビを見ない生活を送ることにした人々が出てきてゐます。不要なテレビは回収されたり投棄されたりすることでせう。もちろんアンテナもチューナーも要りません。さういふ生活を謳歌する人々を、どうして咎められませう。