2011-01-01から1年間の記事一覧

川内康範の日本刀

前回の続き。「生涯助ッ人」川内康範は、岡村吾一の仲介で小林会長に引き合わされた。当時、第三国人が無法を働いてゐたが、警察は手出しできなかったので、小林らが銀座警察を組織してこれに対した。 川内は戦中から、中河与一の主宰する『文藝世紀』の編集…

許斐勝彦の失敗談

『無 小林楠扶追悼集』(小林楠扶追悼集刊行委員会、平成3年8月1日刊行)は170頁しかないが、有名人や芸能人との人脈の広さがよくわかる。 小林は日本青年社会長。北方領土や尖閣諸島について池上彰が解説する折柄、戦後右翼にもう少し光が当たっても…

福島安正中将、春機発動す。

ストロスカーン氏の事件が新聞を賑わせてゐる。陰謀論もあって予断を許さないが、この手の話はどこの国にもいつの時代にも発生してきた。 当時の参謀副長に福島安正というのがあった。シベリヤ単騎遠征で世界に名を知られた人である。この人が大の女好きで、…

頭山翁は数珠を繰ったか

月刊『実話ドキュメント』(竹書房)に、国士舘物語の実録漫画が連載されてゐる。最新号では、頭山翁と柴田徳次郎学長が、松陰神社にある桂太郎の奥津城を詣でる場面が描かれてゐた。 お供の柴田学長は眼鏡もひげもなく、眼光鋭い書生風である。墓前の頭山翁…

はるか神保町

昨日の深夜テレビ「百識王」は、山手線の駅名の由来を紹介するもの。最後は神田駅で、①伊勢神宮に献上するための神田があった②平将門の子孫の神田氏が住んでいゐた、の2説だった。②は知らなんだ。 その直後、神田といへば神保町といふことで、古書店街が映…

80年前のあしながをぢさん

AC(公共広告機構)のCMで、あしなが育英会の広告を見た。ぽぽぽーんはインパクトが大きい割りに、今一何を訴へたいのかわからなかったが、こちらは遺児への支援を求めてゐるのだとわかる。 80年前にも、優しいあしながをぢさんがゐた。「大川周明顕彰会…

ボースとカレーと犬養毅

新宿歴史博物館で2月19日から4月10日まで、「新宿中村屋に咲いた文化芸術」が開催された。株式会社中村屋協働企画。すぐに文章にまとめようと思ったが延び延びになってゐた。 左室に、中村屋サロンに集った芸術家の作品が並ぶ。数点を除いてガラスケースが…

マッチーが読んだミッチーダイアリー

先月と今月号の「レコンキスタ」に、松本健一内閣府参与・麗澤大学教授の講演録が分載されてゐる。「雪の二・二六」といふ題だけれども、瓢亭五百木良三についての話が多い。五百木は『日本及日本人』社長。三宅雪嶺らが分袂した昭和4年就任、同12年没。 …

日新公の和歌

東京都神社庁が毎月社頭に掲示したり配ったりしてゐる「生命の言葉」。今月は日新公こと島津忠良。「いにしへの道を聞きても唱えてもわが行いにせずばかひなし」。 うん、とてもいい和歌ですね。気に入りました。ただこの表記、仮名遣ひがバラバラでは。正か…

地震発生時の千代田図書館と九段会館

11日午後、千代田図書館へ。途中の九段会館入り口に振袖姿の女性と保護者が三々五々立ち話してゐる。立て看板によると、観光系の専門学校の卒業らしい。もうそんな季節かと思ふ。 9階の千代田図書館へ。座席の充足率は8から9割。空席を探さなくても座れ…

毎日日誌を書けと厳命される

『「図書館誌」にみる駒大図書館史【その3】』(駒澤大学禅文化歴史博物館大学史資料室、平成20年1月)より。 世にも珍し大学図書館の司書の日誌。しかも宗門大学。公的なものなので、日記といふより日報といふ方が近い感じ。【その3】は大正14年から翌…

全人類は悉く読め

『東方之星』(昭和3年10月発行、第三巻第五号、東方文学社)より。 「オリエンタリズムの先駆」と謳った高須芳次郎の個人誌。月刊ではなく年四回発行で、この号は秋季号。その中に、『日本時代』創刊の囲み記事がある。 雑誌『日本時代』生る 思想混乱、悪化…

鳥谷幡山が語るとうほぐ

『東北之研究』(東北研究会、大正7年5月、第2巻第5号)より。「閑文字(二)」と題して幡山画史が随筆を寄せてゐる。幡山画史の東北観が窺はれる。 吾々が人に物を贈るとか人を饗応する場合には、之は何処何処の物であるが珍しいとか兎に角旨いから召上つて下さ…

乃木静子夫人、良心を教へる

『みさを』(昭和2年6月号、第216号、陸海軍将校婦人会本部発行)より。 尾上金城神道大教院少教正が「建国の由来と神代女性の美徳」と題して、4月20日に本部例会で講演した。建国神話を説いて日本と日本民族の尊さを語り、 他の民族より超越した我々…

増田宗太郎に心酔し福沢諭吉を尊敬する三浦義一

前回の続き。仁田越男は大分日日新聞の記者だったやうで、23歳の頃三浦義一の親の数平大分市長と会ってゐた。他県人が災いして他の記者によく出し抜かれるので、数平がかはいさうに思って、大分市の上水道敷設計画発表などの特種を与へた。豪放の反面人情…

酣燈社版『美味求真』の怪

豊前・豊後からなる大分県人の機関誌『二豊之友』。昭和24年10月号(第21巻10号)、二豊之友社より。 編集者の仁田越男は踏んだり蹴ったりだ。キティ台風で自宅の家屋が倒壊したところに、不幸の手紙が届く。当時は「幸福の鎖」。安立電気社長の小屋氏…

皇道振興会と日本評論家協会

『日米英決戦の展開』(日本評論家協会編)は、同会が主催した講演会をまとめたもの。発行所は元元書房(皇道振興会出版部)。装幀田代光。 講演が行われたのは昭和16年12月9日夕。大詔渙発の翌日といふタイミングで、演題を変更した人も居た。講師は五人で…

二月二十九日

平成の世には殆ど見られないけれども、以前は名士の揮毫が出版物の巻頭を飾った。その枚数が数頁に亙ることも珍しくなかった。 『弟橘媛命御事蹟』(昭和11年10月15日発行、大日本正気会会長長田致孝著作兼発行者、発行所大川益之助)にはそのうちに、頭山翁と…

八百長でなく実演

『彩霞功罪録〜絵描きになった横浜元街小学校の先生〜』(八木洋美、文芸社、平成16年10月刊)より。序文は西川治東京大学名誉教授・富士学会会長。著者も会員。 彩霞八木熊次郎は愛媛松山の生まれ。現在も使はれてゐる森永ミルクキャラメルのデザインを考案。…

目的といふ目的のないのが、即ち亦此の会の目的

まだ続き。四宮憲章は国学者で漢詩人。皇明会を主宰。写真で見ると怖さうな面構へに、新成人の女性がよく襟に巻くあれのやうな、ふはふはしたやうな立派な髯を生やしてゐる。 顔に似合はぬ美声で記者に説明するには、髯でさへあれば疎密長短職業年齢を問はず…

巨人に悪人は一人も居ない。巨人は女にもてる。

前回の続き。見出しは巨人会だが本文はすべて巨人倶楽部。フクフク会は女性で、男性は巨人倶楽部に入るのか。会長の石黒敬七は23貫(86.25㌔㌘)足らず。会で一番小粒の石黒よりも大きいかどうかが入会の尺度であった。18貫(67.5㌔㌘)の記者は入会…

集まったデブ80人

日本初の女性校長は木内キヤウ。東京市板橋区志村尋常小学校校長。この木内校長が作ったデブの会がフクフク会。初めの入会資格は東京市内の小学校女教員で18貫目(67.5㌔㌘)以上。 私が肥りだしたのは、師範学校を卒業の頃からで、メキメキと体重が増し…

強く生きよう

歴史秘話ヒストリアで後醍醐天皇を拝して勇気をいただく。イラストがかはいかった。 『朝霧の巫女』の湊川篇を買ったばかり。悪い気はしない。金文体で七生滅敵。千五百秋のルビがちいごあきになってゐたのが残念。 出たばかりの朝日新聞出版の『週刊新マン…

 『続馬鹿鳥の声』岩村俊武

『続馬鹿鳥の声』岩村俊武、冨山房、昭和18年3月20日発行、木村百木装幀。肖像に頭山・徳富両翁の賛。 どこを読んでも面白い。巻を措く能はず。 朝倉尚絅と、琵琶湖の奥島の長命山の天之御中主大神に関わる岩を見る。 日露戦争勃発時に第三艦隊先任参謀。旅…

言葉が通じぬ宮司

所が明治十年頃に矢野先生ともう一人同じやうな人が居て二幅対と言はれた。其の一人は神宮の大宮司をして田中頼庸と云ふ人で、此人は誠に言葉が分らない。それは故あつて大島で育つたので、大島の訛と鹿児島の訛とで鹿児島の人にも分らないことがある。 さう…

大均一祭

都内三ヶ所の古書会館ではほぼ毎週末、いづれかで古書の即売会を開催してゐます。ありふれた本は安く、貴重なものは高くなるので、古書の価格は新刊よりも幅が大きくなります。たいてい本の一番最後(裏表紙)を開くと右上に表示してあります。 しかし半期に一…

児玉誉士夫の理容師

新平はその鼻眼鏡と、いつでも手入れの行き届いていた短髪と鬚が示すように、大変なおしゃれでした。その髪や鬚などは、小川という理髪師がほとんど毎日、朝一番で屋敷に出張して来て、手入れをしていました。この理容師は後に児玉誉士夫のあのイガグリ頭の…

かぶる

柘植文と久世番子が穴あき靴下ネタでかぶる。でも誌名は『Kiss』。いかすぜ。 和洋会目録、紙からビニール製に。これで雨も平気。

神道奨学会の『神道講習録』

教派神道十三派からなる神道連合会を前身として組織されたのが神道奨学会。大正十三年から毎年、神道講習会を開催した。第四回の昭和二年の内容に、第三回の内容を加えたのがこの『神道講習録』(昭和3年2月10日、大成教教務庁発行)。そのため、15人の講師の…

奥村喜和男は知ってゐた

ヒトラーの書いた『マイン・カンプ』(我が闘争)について。海軍の井上成美を代表に、「日本人に都合の悪いところが削除されたのに、日本人は知らなかった。それで日独同盟など間違った選択をした…」といふ論が広まってゐるが、さう単純な話ではないやう。 ソ…