一貫不惑

(前略)
テレビジョンやラジオや
アンテナ林なして家々に行きわたりぬ
一億白痴化とは言はじ もと賢明なるにあらねば
「着ものは着れる、物は見れる、彼女は来れる
わりかしイカシハツスル」とやら
卑俗なる国語の普及に日も夜も足らず
(後略)


佐藤春夫現代日本を歌ふ(遺稿)−国の盛りに人と成り国衰へて老となる‐」

昭和39年の作品。この時あったテレビは流石に今使はれてゐなからうが、世世代代受け継がれてきた。なるほどもともと白痴ならば改めて白痴にならう筈はない。それでもテレビがつまらないと言はれるのだからよくよくである。つまらないならばまだしも、悪影響があるのだから始末におえない。マスコミ批判といふのも、この番組は駄目だ、あの出演者はどうだといふのが、おっつかなくなっていよいよ駄目になってきた。もともと賢明でないのにデモをするのだからよくよくである。乱の極まりたるか。

 後段は国語への憂ひ。ら抜き言葉が取り上げられてゐる。「わりかし」といふのは北野武がよく遣ふけれども、これも当人の露出が多くなって人口に膾炙したのだらうと思ふ。イカシといふのはイカスの連用形か。卑俗なる語は普及して、高雅なる語は埋没す。一貫不惑てふ語の世の辞典に現れざるを怪しむ。これ北一輝の用いたるが知られる。以来世世代代道に繋がる者のよく之を誌す。