日本の孔子、江藤大吉

 続き。福永雄作「夢に生きぬく支那浪人」といふ記事に出てくるのが支那浪人、江藤大吉。昭和18年夏に訪問。郷里が同じ豊前だったため、記者はその名を聞くと、小さい頃に聞いた三羽烏といふ言葉を思ひ出した。一人は漢学者の恒藤鱗次、一人は社会評論家になった為藤五郎。もう一人が鉄道院に入った江藤だった。
 官員に飽き足らなくなった江藤は河北鉄道顧問、呉佩孚の政治顧問、日本特務機関のお抱え馬賊から北京・天津の自治総商会(日本の商工経済会)指導役に。当時は片岡安大阪商工経済会頭らに日支和平運動を説いてゐた。

 占領下の北支にあって、皇軍の宣撫に力を尽して民衆より日本の孔子と尊敬された民間人が、日支民衆の握手によって物資交流をやり和平の道を展こうと目下大阪にあって在阪経済人に理想を説いている怪人がある--江藤大吉がその人‐‐。


 こんな始まりの記事が二面トップ四段抜きの記事になった。検閲に引っかかって特高に呼ばれ、憲兵の問題になったと知らされる。記者は反戦思想でないと力説して、結局発行人と二人の始末書で済んだ。
 江藤氏は一ヵ月後に福井で拘引された。再会したのは戦後で、その間に運動のため妻子と別れたことを物語った。記者は芋焼酎でねぎらった。


 他では川合貞吉の著書で見かけた。