外国語挿入は外国崇拝のこと

『近きより』補遺。「手近な処にある我々の戒心し、實行し、警告しなければならないこと」というアンケートへの回答。質問がふはふはしてゐる感がするが、回答数が多いので飽きない。抜粋すると

 1、止むを得ざる固有名詞等の他は、新聞、雑誌の原稿に於ても、またお互い同志の話中に於ても、外国語を挿入せざること。衒学的にあらざれば、外国崇拝の観念に他ならぬからである。


 2、新聞の古いのを売ると一貫目二十五銭、雑誌の古いのを売ると一貫目十七銭。そこで雑誌をほぐして新聞同様にすると二十五銭に売れる。人は貧乏すれば、こんなことを知るやうになる。


 3.事変以来、外国新聞雑誌の検閲もきびしくなり、ついその輿論や批評をきく機会が減ってゐるやうですが、小生の如く漫画研究をしてゐるものにとつては、一日も早くその禁が解かれて外国漫画家側からの日本の理解の程度など知り度く存じてゐます。「顔の曲つてゐるのに鏡を責めてはならぬ」といふ諺がありますが、他から学ぶといふ事は屡々非常に重要なことのやうに思はれます。


 4、古足袋をすてる時にも、小はぜはとりのけて保存して始末するくらゐに、あらゆる金ぞく物を、この際、今後にわたつて捨てないやう、お互いに気をつけたいと思ひます。


 1、文士 小川未明2、文士 沖野岩三郎3、画家 須山計一4、文士 山中峯太郎


 山下博章「法曹喫煙室」より。「馬鹿野郎!西郷さんがも少し小さかつたらもつと大きな知恵が出たんだ。(略)」