3000対6

続き。
 

 突然、三〇〇〇人の隊列の中に、ガタガタのトラックが突っ込んできた。鉄カブトをかぶった青年六人が乗っていた。彼らはメガホンを手にしていた。右翼、国粋主義者赤尾敏氏氏所属の突撃隊だった。自殺するつもりなのか?三〇〇〇人の大洋の中へ、たった六人とは?警官がきた。ざっと一〇〇人。(略)
 一大軍勢がたったひとにぎりの突撃隊に敗走したのだ。(略)六対三〇〇〇!ヨーロッパではこうした計算はとうてい想像もつかないが、日本では必ずしもそうではないのである。そこでは右翼は、左翼とはまったく質の違う存在なのだ。(p192)

 一九六〇年六月のあの日の午後、国会議事堂前では、後続隊がデモ行進しているに過ぎなかった。約三〇〇〇人。あるグループはドイツ語で「岸を倒せ。われわれの願いは平和、アメリカ人は出て行け!」と書いたプラカードをかかげて歩いていた。独文学専攻の学生たちだった。私が彼らにドイツ語で話しかけてみたところ、彼らは、当惑したようなニヤニヤ笑いをしてみせるだけだった。彼らは驚き、赤くなり、そして頭を振った。「私たちはなにも知らない」という意味の日本語「ワカラナイ」が彼らの答えだった。なぜデモ行進をし、だれにも読めそうにないドイツ語のプラカードをなぜかかげるのかを、どもりながら説明しかねて、彼らはいらいらし、困りはてているようだった。(p191)


学生たちェ…