なぜ5人はおぼれなかったか

 『一億人のアウトサイダー‐新しい挑戦者日本』(ハンス・w・ヴァーレフェルト著、出水宏一訳、東洋経済新報社、昭和44年12月発行)。著者は1928年西ドイツリューデンシャイト生まれのジャーナリスト。16章のうち一章が「組織された右翼」。

 赤尾氏はアデナウアー博士と在日ドイツ大使館の人たちについて、批判の矢を向けた。一九六〇年初頭、アデナウアー首相の来日に際して、赤尾氏とその部下は羽田空港で、ハーケンクロイツ(カギ十字)の旗をひるがえして出迎えたのに、彼らはこれに理解を示さなかった、というのだ。アデナウアー博士はアドルフ・ヒトラー以後の、もっとも傑出したドイツ人であるはず。したがって、大ドイツ帝国の旗に、なんの恥じ入ることがあろう。思うにドイツ人も、日本人同様、アメリカニズムに感染、萎縮し、みずからの歴史を恥じているのではないのか、という。
 最後に、時間もおそくなったところで、赤尾氏はその兵営、バラック第二号を見せてくれた。たった一つの部屋には、天井に届かんばかりの紙、プラカード、パンフレットが積み重ねられていた。さびた釘に、ヘルメットがかかり、隅には巻いた旗がたてかけてあった。乱雑をきわめる部屋のまんなかで、若い男五人が眠っていた。山口二矢もかつては、このきたない部屋で同様に眠っていたのだ。これが大日本愛国党の青年隊である!なぜ、たった五人なのだ?東京では一一〇〇万人、日本全体で一億の人口があるというのに、なぜ、この人間の海の中に、五人の突撃隊はおぼれてしまわないのだろうか?赤尾敏氏の答‐‐「原子爆弾も小さいものです!」(p200)

もう一つ

 葬儀には数千の人たちが参列した。山口二矢が殺人を犯した同じ日比谷公会堂を会場に、この葬儀は行なわれた。彼の政治友だちは、後にこの「愛国的」殺人者の霊を靖国神社に祭るのであった。この日本のワルハラ〔英雄合祀廟〕で、彼の霊は以来、戦いに倒れ、日本の国土と国民に功績を残した人たちの霊とともに眠っているのである。(p195)

 
 不取敢、ヴァルハラ神殿と靖国神社は違ひます。当時日本に滞在した人でさへかうなのですから、外人一般は神道や右翼についてどれほど理解してゐるのでせうか。