八百長でなく実演

『彩霞功罪録〜絵描きになった横浜元街小学校の先生〜』(八木洋美、文芸社、平成16年10月刊)より。序文は西川治東京大学名誉教授・富士学会会長。著者も会員。

 彩霞八木熊次郎は愛媛松山の生まれ。現在も使はれてゐる森永ミルクキャラメルのデザインを考案。ハリスの絵を描いて金子堅太郎、渋沢栄一岡部長職、藤波言忠、東郷平八郎と知り合ふ。金子、藤波の推薦で明治天皇御尊像を描く。大正九年六月、大正十年八月、大正十二年一月の都合三回。
 大正14年の洋行の宴席に秋山好古陸軍大将、山路一遊師範学校校長、実業家の岡本栄吉。見送りは水野広徳、漢詩人の藤野君山、宮廷歌人の千葉胤明ら。賀茂丸に同乗したのは大山(柏ヵ)公爵、堀悌吉海軍提督、町尻量基子爵、百武春吉侍従、歴史家の久米邦武ら。同室は画家松田忠一、声楽家の照井栄三。
 パリでグランシュミエール美術学院とソルボンヌ大学文学部に入学。名井萬亀とアトリエを借りる。
 ・カンジンスキー、ピカソ、ルソーの作品に混じって、精神障害者知的障害者の絵や、小さい子供がでたらめに描いたような絵を展示してあった。いずれがピカソかカンジンスキーか子供の絵かという趣向なのだが、これは熊次郎も正確に当てることはできなかった(p312)

 石黒敬七藤田嗣治と親しむ。昭和2(1927)年2月1日、柔道紹介のため、二人が実演。柔道のいろいろの技を見せる。最後に悪役の石黒、短刀で藤田に襲い掛かる。藤田、腰の手拭で目潰しをしてから短刀をもぎ取り大見得を切る。ポアンカレ首相拍手する。八木も感心する…。同じ日に三人で記念写真。旦那、写真ではボサボサ。八木が描くとパンチパーマ。


 昭和8年、頭山翁尊像。頭山の依頼で、その出資する渋谷の名教中学校で絵を教える。不良の集まりだったので、厳しく鍛えなおすよう言はれる。のちの代議士、同郷の阿部喜元を頭山翁との関係で東条英機に紹介。

 p344〜、頭山と松岡洋右の密命でタイへ。日本軍通過の根回し工作。表向き日泰親善使節、第五列を自称。彩霞の長男、清美氏が三井鉱山に勤務した関係か。昭和16年7月着。丸善の支店長ら出迎へ。三井の野上氏と同行。澄田機関支部。10月発、三井支店長ら見送り。戦後も三井関係が絵を買ってくれる。

 後半、面白く読む。名教中学、大岡昇平の心証は余り良くない。名教を吸収したといふ東海大学の資料にどれくらゐ書き込まれてゐるのか。次男が編著者になったもので、そのままの日記・遺稿も見たくなる。年表があればなあと思ふ。