酣燈社版『美味求真』の怪

 豊前・豊後からなる大分県人の機関誌『二豊之友』。昭和24年10月号(第21巻10号)、二豊之友社より。

 編集者の仁田越男は踏んだり蹴ったりだ。キティ台風で自宅の家屋が倒壊したところに、不幸の手紙が届く。当時は「幸福の鎖」。安立電気社長の小屋氏からのもので、「『幸福の鎖』といふ手紙の同文のもの十一通郵送せよ。然らざれば厄難必ず来る」といふ恐ろしい手紙だ。これはどうも自分で処理したやうだ。詠じて曰く「倒壊せる家屋を見つヽ思ふかな 人の心の善と悪とを」

 渡邊綱雄弁護士に在京県人会の副会長就任を頼んだときの返答も摩訶不思議だ。見出しは「責任の重大を痛感」

 

在京大分県人会の副会長就任の感想如何と云はれても別に、嬉しいとも何とも思つてゐないし、正直のところ有難迷惑と申したい位、責任の重大を痛感してゐる。引き受けた以上、御奉公の出来る処のことをしたいし、それには義務と責任を感ずるから個人的感情としては御辞退したい位であるが、微力ながら努力だけは致したいと思つてゐる。(暑い盛りで来客もあつた折柄私の訪問の意味を多少感違ひしてゐた様にも思はれるが、そこは永年の知己でもあるから、機を見て更に真意を聞きたいと思つてゐる。仁生)

 …嫌なら断ればいいのにと思ふ。ちなみに大分県人会会長は一万田尚登日本銀行総裁

 普及会からは故木下謙次郎『美味求真』の刊行案内が届いた。出版元の酣燈社には心当たりなく、筆跡が遺族の幹一氏に似てゐる。故人に香典を送る心算で、一頁広告を出して、同氏に「次号のは有料で出さしてくれないか、その節は別な意味で御尽力したい」と手紙を出した。その返信には、刊行は普及会に任せてあるので、用事はそちらに言ってほしいとにべもない。ここに至って仁田氏は憤慨す。

 普及会会員には鮎川義介正力松太郎、殖田俊吉、綾部健太郎ら。通常500円前後のところ、「実に1300円(300円の間違ひではない)の無法な値段である」。1000部とすると130万円である。仮に50万円かかるとして、だれかが80万円ぼろ儲けしたのではなからうかと邪推する。しかも前金払いには1000円に負けるといふ。すぐ金を払へるのは裕福な者の筈なのにこんなおかしなことはない。「売残りが高くなるなんて正に前代未聞の話である」云々。

 …勝手に広告を載せるのも如何かと思ふ。