児玉誉士夫の理容師

 

新平はその鼻眼鏡と、いつでも手入れの行き届いていた短髪と鬚が示すように、大変なおしゃれでした。その髪や鬚などは、小川という理髪師がほとんど毎日、朝一番で屋敷に出張して来て、手入れをしていました。この理容師は後に児玉誉士夫のあのイガグリ頭の手入れもしていた人物です

(『無償の愛‐後藤新平、晩年の伴侶 きみ』河粼充代、藤原書店、平成21年刊、112p)

 だからどうしたと言はれても困るけれども、奇縁の一。さうするとあの髪型も特別な技術が必要だったのか。児玉と言へば、以前五反田で見かけた釣り姿満載の写真集、売れたのかどうかが気になる。きっと熱烈なコダマニアの手に渡ったのだと思ひたい。

 すぐ前の頁には、理由はわからないが、赤尾敏が後藤に怒鳴りつけられて、部屋から退出したことが記されてゐる。建国祭の関係であらうか。

 主人公の河粼きみは後藤の伴侶にはなったが、正式に籍を入れずに離れて暮らした。そこで「もうそろそろ、正式に屋敷に入ってはどうか。先生(新平)もおばば様(新平の母・利恵子)もそれを望んでいるのだから」と心配したのが杉山茂丸。さういふ深い仲にあったのが知られる。