奥村喜和男は知ってゐた

 ヒトラーの書いた『マイン・カンプ』(我が闘争)について。海軍の井上成美を代表に、「日本人に都合の悪いところが削除されたのに、日本人は知らなかった。それで日独同盟など間違った選択をした…」といふ論が広まってゐるが、さう単純な話ではないやう。
 ソ連から帰朝した奥村喜和男企画院調査官は座談会で、

独逸のバイブルと言はれてゐるヒットラーが政権を取る前に牢獄で書いたマイン・カンプ、我が闘争 とでも訳すべきものに、確かに第一番には日本人を攻撃してゐる。それは日本人を攻撃したといふけれども、実は独逸民族の優秀性、ナチス民族の優秀性といふものを強調する大きな発展性を持ってゐる、文明を持ってゐる日本人を攻撃した。だから本質的な意図はないのである。所が最近政権を取つてから、実際的な政治家であるヒトラーは、非難することもあるまいといふ意味から、その他色々な国家的な見地から考へてそれを削ったのだ。今日出てゐるマイン・カンプの中には日本人に関することはない。それからヒットラー独逸には主な大学に日本講座が非常に開かれてゐる。その一つの有名なものはハンブルグの大学にある日本学の講義である

 と発言してゐる。一般国民は別にして、少なくとも奥村とその周辺ではさういふことは承知の上であった。削除されてゐたといふことは井上も奥村も知ってゐたが、削除する前の記述を非難するのか、削除したことを評価するのかで立論が異なってゐる。
もう一つ、電力事業への思ひ入れについて

日本人は血の滴るやうなビフテキを食ったって力が出ない。沢庵を食ひ、味噌汁を吸へば力が出るのだ。アメリカ式の眼で見る必要は毫もない。日本は元来山国だ、それに湿気が強く、雨が多い。これを吾々は嘆くことは少しもないのだ。かうした条件は逆に電気を作るには最適なんだ。ちっとも悲観することはない。

 とある。日本の風土には水力発電が合致してゐるので、それを発展させたかったやうだ。

 『国民評論』昭和12年11月号、九巻11号。特輯ロシヤを凝視する!!(『社会往来』からの改題第一号)

 目次:対ソ認識の再吟味山田洋雄/転換過程にあるスタハーノフ運動相馬一郎/蘇国新選挙法と其の結果山内封介/コルホーズの発展過程山賀浩平/「ソ聯を語る」座談会 出席者 帝国大学助教授橋爪明男 欧亜局事務官三浦和一 陸軍省新聞班安達久少佐 陸軍省荒尾興功 企画院副調査官福田喜東 同志社大学前教授村井藤十郎 参謀本部多田督知歩兵大尉 警保局保安課長富田謙治(ママ) 警保局図書課長大坪保雄 沼田市郎 企画院調査官奥村喜和男 同志社大学前教授瀬川次郎 前田直海軍少佐 国民評論社社長小林五郎 記者/ソ聯の対外政策茂森唯士/五ヶ年計画第二次の結果と第三次の展望沼田市郎/ソ聯邦重工業当面の問題直井武夫/ソ聯共産党に対する一考察荒木十郎/帰朝第一歩奥村喜和男氏縦横座談会 出席者 企画院調査官奥村喜和男 企画院調査官栗原美能留 企画院副調査官福田喜東 社長小林五郎 記者/人の噂/敵前上陸/国内日誌/国民時評 内閣参議制の実現 国民精神総動員運動 経済行政の重大化 公債三十億円 消費節約運動 戦争と学者と文化/カスピ海坐洲二日安達久/ロシアの宗教復興運動向井静二/ソ聯の軍事・国防現勢荒尾興功/スターリン物語石田道平/編輯後記

富田謙治は目次の誤記で、中の面では正しく富田健治。