二月二十九日

 平成の世には殆ど見られないけれども、以前は名士の揮毫が出版物の巻頭を飾った。その枚数が数頁に亙ることも珍しくなかった。
 『弟橘媛命御事蹟』(昭和11年10月15日発行、大日本正気会会長長田致孝著作兼発行者、発行所大川益之助)にはそのうちに、頭山翁と並んで珍しく峰尾夫人の書を掲げる。賀茂百樹靖国神社宮司と都智子夫人の書もある。賀茂宮司は跋も寄せた。
 この冊子は神奈川県鎮座の走水神社の御祭神を顕彰する為に編まれた。命の御事蹟は女子の亀鑑、皇国精神真髄の発露であるところなるも、「何様ヲ祭リタル神社ナリヤ等ノ奇問ヲ発スル者アル有様」であった。
 明治40年頃、当地を訪れた高崎正風が上村彦之亟、東郷平八郎、伊東祐亨、井上良馨、乃木希典、藤井茂太に呼びかけ記念碑を建立。大正14年5月4日、貞明皇后参拝し、各宮殿下、親王殿下が続くやうになった。
 斎藤実内大臣も夫人と共に昭和11年2月29日午前11時に参拝予定であったが、三日前に不測の事態に遭ひ達せられなかった。
 名士揮毫の最後は、斎藤内大臣が大日本正気会婦人部長長田花子に宛てた書・葉書、予定を記したカレンダーである。