鳥谷幡山が語るとうほぐ

『東北之研究』(東北研究会、大正7年5月、第2巻第5号)より。

「閑文字(二)」と題して幡山画史が随筆を寄せてゐる。幡山画史の東北観が窺はれる。

 

吾々が人に物を贈るとか人を饗応する場合には、之は何処何処の物であるが珍しいとか兎に角旨いから召上つて下さいと申述べるが東京は勿論関西中国辺の人は決してさうは申さぬ。必ず拙いものですがと言ふ風で前者は好い物を差上げると言ふ所謂真情を吐露したものであり、後者は謙遜的に礼儀を守って居る其対照が妙であらう。然し辞令に巧な支那人でも多くは吾東北人的に旨いから御上りなさいと言ふ方が多く、西洋人は尚更吾東北人以上結構だからサアドウゾドウゾと言ふ風に御馳走するのである。

欧洲人と語の抑揚変化の似寄は前号にも述べたが、動詞が先に働く点も支那欧洲とも共通である。例へば雨が降つて傘を借りる場合に、普通東北人の多くは傘を借してください雨が降つてきましたから…之が極端になると借してください傘を…降つてきた雨が…と言ふ風で、之には関東関西の人は随分判り悪い様である。

 この文章ではまだギリギリ民俗学?だが、あと一歩でトンデモになりさうな予感。幡山画史は東北生まれながら、東北は日本の他の地域とは異なり、かへって支那欧洲と近似してゐるやうな見方をしてゐる。

 しかし東北の人は本当に「つまらないものですが…」とか言はないのかしらん。