高野六郎は随時参拝がお好き

 国家神道といへば最近は研究が進んできたけれども、やはりまだどこか強制的だったり官僚的だったやうなイメージが持たれている。ところが月明会の『月明』昭和17年8月号(残暑号、第5巻第7号)にちょっと意外な記事がある。高野六郎「きりぎりす」。

役所用語に随時参拝といふのがある。例へば靖国神社の例祭に随時参拝とお布令が出れば、勤務の隙見て随時お詣りをせよといふことなのだが、それは表向きで、実際は役所はお休みなのである。役人一統がテンテンバラバラ机を離れて参拝に出かけるとすれば、事実は開店休業状態なのである。更には事実通りを申すと役人の大部分は参拝もしないで随時帰宅なのである。それが一段と進展して随時参拝の日には朝から出勤はしないでもよいことになつて居る。時には午後随時参拝となることがあるが、これは午後臨時休暇と同意義にとつて差支ない。
 さて本年七月三十日はその随時参拝であつた。明治天皇三十年祭につき、明治神宮に随時参拝せよといふ示達である。
 一遍勤先へ出た上で臨時の休暇となると、その日の日程を立て直さねばらなぬが、兎も角休暇といふものは大人でも嬉れしいものである。私は早速明治神宮に日中参拝することに決心して心中の歓びを固定した。

 寡聞にして知らなかったが、嘘や勘違ひとも思へない。お役所なので間違ひないことと思ふ。国家神道はいつからいつまでかいろんな説があるだらうが、これは昭和17年7月30日。戦争真っ只中だが、役所の勤め人は強制参拝ではなかった。したい人はして、したくなかったら帰ってよかった。高野は参拝に行ってゐるので、真面目な部類であらう。30年前の崩御の日は異例な炎天下のなか、二重橋前で膝間突いたといふ。

 この随時参拝は高野だけではなく、しかも少なくとも都内では一定期間行われていたやうだ。この時代の神社といふと暗い話しか伝はっていないが、かういふ牧歌的なこともあった。戦争の悲惨さを伝えることに異議はないけれども、かういふのも時代の一面でなからうかと思ふ。いいなあ随時参拝。