小澤打魚「唯私共を信じて下さる事を願ふのであります」

 『時事問題研究』は時事問題研究会発行。政論や世界情勢の硬い内容。発行人戸田千葉、編輯兼印刷人柳澤泰爾。大正11年12月号の1巻11号に小澤打魚が「奇書南淵書献本の顛末」を寄せてゐる。 
 口語体で書いてあるのを読むと、小澤は昭和天皇が摂政になった年に、一条実孝公爵の手から宮中に南淵書を献納した。一条公には、土佐で仕へてゐた兼松義整が献上した。そのことは当時2、3の新聞に掲載されたが、小澤は明治26年の冬からずっと健康を害してゐて、新聞は外国電報のところしか読まず、記事内容は知らないといふ。
 小澤は南淵書の校正をした関係から、献納のいきさつを記録しておくといふ。
 そもそもは仙台藩家老の茂庭周防の所に、藤波友忠の娘の閑子が嫁に行った。その時に、友忠が謄写した南淵書三巻を含む歌書や儒書を持たせた。
 明治維新で没落した茂庭の家から、親戚だった小澤の父の所に預けられた。 

 唯惜しい事には、私が四十年来故郷を顧ず、先年頽齢を以つて歿したる老母の喪に奔りましたる際、序を以て家蔵の雑物を整理しました際、弊屋の壁が破れて雨漏りの為に何時しか多くの書を腐らした中に、南淵書も矢張り其の厄に罹つてゐたのを見ました。幸にどうにか読み得らるゝ程度でありましたので、爾来多病の閑日月を利用してそれを補修しております内に、友人権藤成卿氏の手にも此書の残欠本が伝へられてあると聞きましたので、そこで一条公の上表にもありまする通り、対勘合校を致しました。或は他に此書が伝はつてをれば仕合せであると存じて、諸所の図書館目録なども取調べましたが、何うも見当りませぬ。水戸の彰考館書目の内には、標題は載つてゐるさうですが、欠けてゐるといはれました。今泉雄作氏は何でも古いものゝ事を御承知の方のやうに考へますので、人を介してお尋ねを致して見ましたが、それは珍しい物だといはれただけ、矢張り御承知がなかつたとの報に接しました。
 私と南淵書との関係は大略右のやうな訳でありまして、思へば小説よりも奇なりとの感もありますが、私の希望する所は、どうぞ天下の識者が真面目に此書の内容を研究せられて深く先賢の遺芳を味ひ、其志を玩味して更に発明せられん事これのみでありまして、其伝来などの事は、唯私共を信じて下さる事を願ふのであります。(完)

 雨で原本は駄目になってしまったので、残ってゐないといふことにしたのであらうか。わざわざ信じてほしいと言ってゐるので、疑問視する声が届いてゐたのであらう。