葉書一枚買へない下位春吉

 『向上之青年』(帝国文化協会)の昭和二年七月号に下位春吉が大々的に掲載されてゐる。星ヶ岡での、同協会会長の小原達明八千代生命社長との会見記。「山王台の森かげから」と題した記事を書いた伊原敦はなかなかの美文家。「明治維新を一区画として、志士の名が、永久に神州日本の地から葬られようとして居る今日、私は、天下の青年男女の胸に記憶させたい。刻み付けたい。生きた護国の鬼、下位春吉先生の名を」と記す。「心尽くしの是等の料理も、烈々たる憂国の熱誠に、没我の境地を逍遥ふ国士の食欲を誘ふに足らないのか、下位先生は箸もとらず、談論はいよいよ高潮する」。

去年の始め、私の郷里の憲政会の大新聞が、『下位は政友会の走狗になつて、其の提灯持ちをして廻る』などと、私のことを罵つたさうであります。
 私は何時いかなる所でも、「今日の日本のすべての政党は、堕落し尽してゐる。」とは申しますが、不偏不党、どの党派にも味方した覚えは更にありません。これが私を最もよく理解して居てくれるべき筈の私の郷里の新聞です。 

 郷里に容れられずかはいさう。
 イタリアの紹介ばかりするので、どこかから金を貰ってゐるのだらうといふ批判に反論し、貧窮振りを語り出す。 

 講演料から旅費などを差引いたら僅かしか残りません。それと原稿料とが私の全収入であります。十五人の家族が、人の想像にも及ばぬ程極度に質素な生活をしましても、米代に窮することが屡々あります。家中を捜しても、三十銭の電報料が無く、ひどい時には、ハガキ一枚買ふ金のない時もありました。

 これからは家族と共に渡伊すると決意を披瀝してゐる。二人並んで撮った写真やイラスト、下位が訳出したムッソリーニの演説も載ってゐる。下のイラストは9月号より。似てゐる。