高畠氏の名答

 三土社の『新時代』の大正15年4月号・第六巻第四号は僅々28頁。然し発行者の鳥谷部陽太郎は「三土社から」でかう言ふ。

“新時代”はご覧の通り、商売雑誌の体裁をしてゐないので、中には道楽雑誌のやうに見てゐる方もあるやうだが、編輯者としては、出来るだけ売れ行きのよいやうに編輯をしてゆきたい考へである。それで寄稿家諸兄もそのおつもりでお願ひしたい。本誌が売れさへすれば、寄稿家諸兄にも相当の事が出来ると思ふ。たヾ編輯者としては、売らん哉主義から、当世の所謂流行作家などの作を有難さうに載せるやうな真似は遺憾乍ら今後とて出来さうもない。

本誌はご覧の通り本号から頁を少し増した。それにつれて発行部数も、少なからず多く刷った。そして此際、次第に記事も精選し、興味の多いものも採り入れてゆく方針である。

 同号の実際の執筆者は鳥谷部、時枝誠之、西原和治、向山繁、曽我鍛、船江純一、伊藤五郎、松本昌夫、谷口雅春、淡谷悠蔵、榎本文太郎。
 目次にないので埋め草だらうが、こんなのもある。

 高畠氏の名答

 “問題”といふ雑誌で次のやうな質問を識者に発してゐる。
(1)近き将来に政治上及経済上に変動はあるか、(2)あるとしたらドンナ形式で行はれるか、(3)之を救済するにはどうしたらよいか。
 此の問題に対して此の四月号に発表されてゐる高畠素之氏の回答が要領がよい。
(1)変動とは何ぞや、(2)そんな事は分るものでない、(3)救済などいふ柄でもあるまい。お互いにさ。

 最後に「現代語新短歌」といふのがあって、選者不明だけれども幾つもの作品が載ってゐる。渡邊順三の「大晦日」5首のうちから抜くと

「銭なしでしかも大晦日だといふのに、だが何といゝ日和なんだらう」

「こんなうららかな日和なのに 私は金のことばかり考へてゐる」。

 佐野慶一は無題で

「今年こそ 何か得たいともくろんだ 俺に残つた日数が さびしい」

「食ふて生きる たヾそれだけを むづかしく 考へ勝ちな世がおかしいや」。