尾高豊作「本を読めば病気が治るといふことは一つの暗示療法」

 読書といっても様々で、文学書や専門書ばかりが読書でない。多くの人にとっては実用書も、否実用書の方が売り上げも影響も大きい。これを読めば問題が解決し、かうすればもっとよくなるとか、本当かとも思ふけれどもそれが売れてゐたりすると少しは効果があるのかもしれないと思ふ。一体に本を読まうといふのはさういふことも大きな動機になることがある。


 『児童』の昭和11年2月号の小特集は「『生命の教育』を批判する」。尾高豊作、浅野研真、霜田静志、加藤一夫が寄稿してゐる。特集の口上は筆者不明だが、『生命の教育』を批判してゐる。

低能な子供を有つ親の情としては、低能はあくまで低能であるといふ科学的な言説よりは、低能児が優良児になり得るといふ迷信みたいな言葉を信じ勝ちである。然し科学的立場から考察して低能児が優良児になることは、杉田博士の証明された如く、絶対にあり得ない。従って、某婦人雑誌の記事も「生長の教育」の宣伝も世人を瞞着するものであると云はなければなるまい。

 
 尾高豊作には友人から、「医者に見離された病気が谷口氏の話を聞いたらケロリと治つた」といふ年賀状が届いたといふ。その尾高も「子供の教育と『生命の教育』」で批判してゐる。

 本を読めば病気が治るといふことは一つの暗示療法に過ぎないと思はれるがそれを何か特別な有難い実相の示現か何んぞのやうに御吹聴なさるのは如何にも現代の知識階級を馬鹿にしたものであると思はれる。否、馬鹿にしたといふよりも、一般大衆の社会的不安乃至社会的無智に乗じて万能薬を売りつけるが如き態度ではないだらうか。

 ところがどうも文章を読んでいくと褒めてゐるところもあって、ちぐはぐな印象を受ける。「子供の問題に関する限り、私はかねがね谷口氏の考へと非常に共感して居る点が多い」「たしかに今までの教育の虚を衝いた劣等感克服と云ふ暗示療法が、非常に有力な効果を示してゐるやうに思はれる」。

家庭の中を、どうしたらもつと子供の生長にとつて朗らか溌剌たる協同生活の場所とすることが出来るか、恐らく、この問題こそ、「生長の家」といふ一団の教化的運動の目指すところでもあらうかとも思ふ。従って当然子供の問題に対する我々のかねてからの運動と全く軌を一にするものであつて、非常に真面目にその成功と発展とを期待するものである。

 文末に(談話筆記・文責記者)とあるが、尾高自身の立ち位置がはっきりしないのか、記者がうまくまとめられなかったのか、どちらであらうか。