紐育の新年は日本の玩具と共に

 『社会画報』は和歌山県人の詩画文章を載せたもの。昭和14年の16巻1号、通巻128号に高橋潤二郎が「『ニューヨーク』の新年」を寄せてゐる。数年前の滞米を回顧したもので、京都帝大の近藤博士らと大晦日を迎へた話。
 クリスマスの前日は会社・銀行・官庁・学校みな休みになった。大晦日の午後11時半、タイムズスクエアの周辺はごった返して居た。

ブロードウエー全般からフイフス・アヴエニユー、それからこのタイムズ・スクエヤーの状況といへば輦摩梏戟真に人の渦を捲いてゐる。中にはピーピーと小さな玩具笛を吹き鳴らし行きすがる若い娘などの耳に吹き付けて驚かせては大声をあげて興がる若者もあれば、羽毛のやうな柔毛で人の襟元などをソツト後背から擽ぐつて驚く顔を覗き込みながらグツトイヴニングと行きすぎる人もある。こんな笛や羽毛や玩具の喇叭、滑稽人形、ピーピーなど(是等の殆んど全部は日本からの輸入品であるとは全く奇妙である)は街の角々で往来の人々をめがけていくらでも売つてゐる。

 
 後ろから前の人の耳に向かって玩具の笛を吹いたり、羽毛で襟元をくすっぐたりして驚かせて居たといふ。どうにも奇妙な風習である。更にそのための玩具があって、しかもそれらの殆んどが日本製。車よりも日本の玩具の方が先に広まって居た。
 日付が変ると電光掲示板に「1935. HAPY(ママ) NEW YEAR」の文字が現はれる。
 そのあとは日本式料亭の「太陽」で蕎麦と日本酒を飲食したといひ、これは日本と同じ過ごし方ができたことになる。