『向上之青年』昭和2年8月号の「興国の光芒輝く星ヶ岡」(伊原敦、p14〜p20)は頭山夫妻、下位春吉夫妻、小原達明帝国文化協会会長夫妻、上村藤若同協会主幹の七名が一同に会した記録。5月29日の星ヶ岡茶寮に打ち揃った巻頭写真が素晴しい。峯尾さんは苦労人、下位夫人は容姿端麗にお見受けする。他に本文の方にも3枚あるので都合4枚も撮ってゐる。
頭山翁が下位を助けたことが回顧されてゐる。前年12月10日、講演で忙しい下位のもとに、息子の下位不二男が危篤といふ電報が入った。しかしイタリア行きも近い。
諸方から委托されてゐるムツソリーニへの贈答品の数々は既に横浜から香取丸に積込んであつた。先生が依頼されてイタリヤへ連れて行く若い人も、既に神戸から乗込んで、翌日はもう門司へ着く事になつて居た。それに、先生が渡伊される事は、途中やイタリヤの友人達には皆通知してあつた。
今更出帆を延ばさるゝ訳には行かぬ。
命に別状はないと分って、下位は頭山翁に後事を託して渡伊する。
かくして下位先生と、父君とも頼む頭山先生にお願の手紙を出されて、日本郵船会社から特別で割引して貰つた三等の切符を買つて香取丸に乗り込まれた。
この日の会見は小原の提案で、お見合のやうに男性同士、女性同士向かい合って座った。遅刻した下位は「艶々とした赭顔、大西郷を偲ぶ並外れて濃き太き眉、一文字に結んだ唇、大きなロイド眼鏡が夢見るやうに心持ち天井を向いて、廊下を急ぎ足に女中に導かれて、此の室を訪づれたドツシリしたモーニング姿の紳士」。
下位はイタリヤで邦人を取り次いでやっても、その後があまりに非礼だと憤る。「私が日本へ帰つても、訪ねてくるどころか、手紙一本くれぬ人間が多いのです。私は別に訪ねて貰ひたいわけではありませんが、これが現代日本の利己的な、感謝感激の念の干枯びた相そのものを語るものであると思へば、その浅猿しさに痛嘆せずには居られません」。記者の伊原は「祖国の同胞をよりよくし、同胞の向上を冀ふことの熾烈なる国士の集りであるだけに、とかく同胞の長所よりも欠点が話題に上るのは止むを得ない」と助け舟を出す。其の他イタリヤの地熱発電を日本でもやらうとか日伊で生糸の販売同盟をしようとか話が進む。
頭山翁は「背は低いが、どこかに偉大性がある」と微笑んだといふ。なるほど写真を見ると頭山翁が大男にみえるほどだ。
小原会長は「頭山先生以来の立派な国士だ」と称賛する。小原夫人は下位夫人を「奥さまも御主人に適はしい立派な方らしいですね」といふ。
なほ本文のあとの囲みに
星ヶ岡の写真は本協会の関係者として好個の記念写真でありますから、誌友の方々の御希望を充すため、巻頭に掲げましたものを、別に立派なアートカードに印刷して実費でおわかちすることにしました、御希望の方は振替か郵券で本会あて一枚につき十五銭お送り下さい(一記者)