高畠素之「そうじやない行詰まつて病気になるのだ」

 高畠素之が結婚式でピストルを掃除してゐたといふ話、猪野さんの『日本の右翼』の津久井龍雄の項に簡単に触れられてゐる。出典の詳しい巻号が記されてゐなかったので手元のもので確認すると、『国論』の昭和29年3月号。第二巻第二号で題字下に[創刊一周年]とある。
 表紙に目次があって、高畠素之追憶特集の追憶会出席者として岡田忠彦・大澤一六・町田辰次郎・吉田一・尾崎士郎・平岩巌・石川準十郎・矢部周・津久井・室伏高信・神永文三赤尾敏・茂木久平・金内良輔・永松浅造・開未代策・松岡駒吉・長谷川光太郎・宮越信一郎の名がある。
 本文には出席者殆んど全員の名前があって、そのほかに神近市子・清水行之助・添田知道・中村武彦・宮地嘉六・三輪寿壮・矢次一夫・野依秀一らも来てゐた事が判明する。

 中山忠直のこととか資本論の翻訳とか貴重な談話なので全部覆刻してもいいくらゐだが、とりあへずピストル事件。永松浅造の談話による。 

 私が初めて高畠先生にお目にかかつたのは岩田富美夫氏の結婚式においてであります。その時丁度隣に先生がいたのですが、恐ろしいことにピストルをポケットから出し、分解掃除をやり始め、しきりに酒を呑みながらピストルをいじっている。そこで私が、何の必要があつてそんなものを持つているのかと聞きましたところ、俺が資本論をやつたことについて、其の後少し思想が変つて来たというわけで狙われている。暴をもつて暴に報いるというわけでピストルを持つているのだと言われたのであります。

 その後に赤尾敏が印象深い事を言ってゐる。

 私は、偉い人というのは共通して正直なところがある、誠がある、こう思うのです。実は先生が亡くなられるちよつと前にお宅にお訪ねした時、少しお世辞も混ぜて、これからというところで病気になるというのは残念ですねと申しましたら、先生は、そうじやない行詰まつて病気になるのだ、これからという時に病気になるのじやないと言われたのです。私その言葉が未だに忘れられない。正直な方だなあと思つています。

 この頃遠近で体調を崩す人がゐたり、院内で「今年の風邪はおなかにくる」といふ声を聞く。励ましたり元気付けようとする気持もわかるけれども、却って高畠の正直な言葉が響く。