杉村楚人冠が出世できない理由

 『現代』大正10年7月号には細々した逸話が載ってゐる。「挿話三篇」は信天翁子の筆。
「玉に瑕」ははじめに杉村楚人冠の語学力を「英米の公使や領事ですらも跣で駈け出すといふほどの天才である」と褒めちぎって、しかし杉村にも悪癖があるといふ。
 東京朝日新聞の同僚に、遠藤(隆吉)博士と『社会及国体研究録』といふ雑誌を出してゐた浅野利三郎がゐた。杉村は浅野の話声が大嫌ひだといふ。
「急に杉村君の顔色が蒼白に変つて来る。何うかしたのかと訊くと、浅野君の言葉を聞いたので癪が痛み出したといふ返事である」

『杉村は語学者だけに声に就いて敏感なのだよ。だがああした態度は良くない。あの態度の為めに、とつくの昔に編輯長になつてゐるべき筈の人であり乍ら、いまだに調査部長といふ一椅子を与へて隅つこに押込隠居にされてゐるのだ』といふ噂が立つたさうである。