庄屋に鉄砲、左翼に毛利‐立志伝中の毛利基特高課長

 『力之日本』昭和11年正月号からもう一つ。利根登「毛利特高課長・出世録」。副題に「一巡査から叩き上げて思想警察界のピカ一となつた」とある。
 第二特輯「現代立志伝」の記事で、真珠王の御木本幸吉の次に紹介されてゐる。冒頭の小見出しは「庄屋に鉄砲、左翼に毛利」。三・一五、四・一六、田中清玄一派の検挙、十月共産党事件、リンチ共産党事件等々の検挙に活躍し、「左翼陣営をして今日の如く、起つ能はざる迄に、打ちのめしたところの、我が国左翼運動史上、どうしても彼を抹殺することが出来ない存在」。
 毛利基は明治24年福島県伊達郡大木戸村大字光明寺生まれ。昼行灯とあだ名されたが、石川島造船所の大争議を解決に導いて出世コースに。第二次共産党の創立大会では五色温泉に向かふ。東京の会社員で神経衰弱療養といふ触れ込みで逗留し、佐野・鍋山・渡政の動向を内偵して三・一五検挙に繋がった。小見出しは「佐野学対毛利これこそ天下分け目の合戦」。
 右翼に対しても手腕を発揮した。 

 警視庁は…テロ事件に狼狽し、この非常時局に備へるため、警察官の増員と組織の改組拡大を断行し、所謂新選組と呼ばれてゐる特別警備隊を新設して、この未曾有の不安時代に備へ、それと同時に従来右翼運動取締は普通高等課と、捜査第二課とが担当してゐたのを、その際特高課の所轄に併属し特高課を拡大して、この時特高部を新設した。
 かくて、特高陣の拡大強化と同時に実際家たる毛利警部を特高課長に起用せよとの声が部内から叫ばれて来た。

 小見出し「右翼の大立者も泣くこの意気」では、黙秘する前田虎雄を口説き落として口を割らせる。

君達が為さんとした事と、なした事と、僕等が警察官として為しつゝある事とは、結局に於て国を愛するといふ事に一致する。
 たヾ君達の破壊から建設を希む事と、僕達の社会治安を保持しつゝ漸進的に改革の実を上げようと念願する事との相違である。僕は職務を通じて、社会大衆に迷惑を与へずして、よりよき建設へと向かつてゐるのだ。が、今云つた通り、共に愛国の気持には変りはない

 と毛利が涙を浮かべると、前田も涙を浮かべて「毛利さん、今日はあなたに総てをお話しませう」と神兵隊事件の全容を供述した。記者子は「剛腹なる前田虎雄、苦もなく陥落させた事によつて、彼の人物の輪廓が大体判るであらうが、本文の記者は、特高―思想―警察における彼の存在といふよりも、寧ろ人間としての毛利に多分の感歎を惜しまぬ一人だ」と敬服してゐる。

 ・不二から人類愛善新聞が覆刻されるとぞ。いろいろ捗るかも。誤多誤多が片付いたのなら、次は『昭和』『真如の光』も出してほしい。