国家社会主義者の小笹正人帝キネ東京支社長

 自警会発行の『自警』、昭和6年一月号は警察雑誌と思へないほど読み甲斐がある。出色は「百年後の社会と警察」といふ小特集で、名士が西暦2030年の世界を予想している。嘉納治五郎は「武道と武術と警察」、小野賢一郎は「新聞界はテレビジヨン時代」、浅原六朗は「享楽生活中心時代」、堤友次郎は「映画は家庭娯楽物」、吉井勇は「一定の区域内で賭博も売笑も公許」など。
 中でもユニークなのは小笹正人帝キネ東京支社長の「活動省と検閲制度」。小笹はみずからを国家社会主義者だと公言する。 

 私は職を離れて、純然たる国家社会主義の主張者であります。私は此の意味に於て帝国主義を肯定し、国家主義を肯定し、而して之に伴ふ社会主義を肯定します。現在の日本帝国の社稷を憂ふる者は悉く同志だと信じます。(略)
 然らば、百年後に於ける我国は何うなるでせうか。私は其の時こそ完全に私の抱く国家社会主義が理想通りに実現してゐる事と存じます。即ち皇室は愈々連綿として続き、有ゆる産業機構は悉く国営となつて、私共の子孫は其処に完全なる人生と完全なる生活を得てゐると信じます。

 映画の製作・配給・興業はすべて活動省が管轄する。映画はすべて無料!電車も汽車も無料!「私共の子孫は充分映画を享楽することが出来るやうになります」。

 小笹は八千代生命にゐたといふから、小原達明を通じて下位春吉らを知ってゐたかもしれない。 

 これに比べると他が霞んでしまふが、大谷竹次郎松竹社長は「無検閲上演の興行界」。当時一番の問題は脚本を検閲されることで、「見物にとつて興味の深い処にはどうしても検閲者の目が光り易く、往々にして脚本の面白さが骨ぬきになり勝ちです」。100年後は観客の目も肥えて、検閲も不必要になるだらうといふ。
 最も現実的なのは堤友次郎で、

映画は各家庭の娯楽物になつて便利に重宝に各家庭で映写される事になる。俳優の演技とか、脚本とか云ふテーマの映画は百年後の時代には通用しなくなる。
 百年後に流行する映画は娯楽物ではあるが、実生活の過去を撮したものとか、現実制度ものを撮したものが流行するのではないかと思ふ。

 作り物では人々の関心を集められなくなるといふ。

  同じ頃に活躍してゐたのが早川雪洲で、昭和4年10月号の『現代仏教』(大雄閣)の高楠正男「篝村亭漫筆」に演技評が出てゐる。

 巴里に寺院を建設する為め帰朝してゐる、武藤叟氏が、ドグラス、フェアバンクスに会つた時、早川雪洲は怎うしてあの地位を得たか?と質問したら、彼言下に
 ―欧米の映画俳優と全然違つた繊細なる表現―換言すれば喜怒哀楽を最少限度の表現を以て、表情する彼の技芸と、内面的の表現―即ち腹芸の為めである―と答へたさうだ。本当か知ら、なんだかお世辞のやうに聴へる。

 腹芸はなんといふ英語を訳したものであらうか。