筧克彦「神社は焼けませぬ」

 続き。東京帝大で筧克彦の講義を聞いてゐた渡邊八郎。そのときはまだいはゆる神がかりではなかった。ただ、行政法の講義なのに「普遍我」「独立我」など、哲学的で独特な用語を用いてゐた。
 渡邊は岡田虎二郎の静坐の会にも入ってゐて、ある日の帰り道、筧のことが話題になった。岡田は直接か間接的にか、既に筧のことを知ってゐた。岡田の筧評は、

「あの先生は、日本で稀な見事な学問的体系を立ててゐる。しかしそれはお膳立てが立派といふだけで、君、喰ふことは教へてゐないだらう。喰ひ方を教へなくちや、君、その立派な御馳走が肉にも血にもならんぢやないか。僕がそれを教へてあげる」

 と、御馳走だとは認めつつも応用が必要だといふ微妙なものだった。渡邊は、のちの筧の古神道の著書や御進講、日本体操などの血肉化の成果を挙げてゐる。
 
 渡邊は秩父宮殿下との思ひ出を、どういふ経緯か中里義美の『神日本』に発表。この書に収録されてゐるので読んでみると、スキーや乗馬では、鹿子木員信が殿下のお相手をしてゐる。御進講は一木喜徳郎が大日本帝国憲法姉崎正治が宗教学、筧が古典(神ながらの道)、深作安文が社会思想、加藤虎之亮が漢籍講義を受け持ってゐた。
 宮邸に5人招かれたときの雑談で、関東大震災後の帝大移転問題が話題になった。代々木も候補地の一つになってゐたが、それでは大学が焼けると明治神宮にも延焼する恐れがあると、宗教学の大家のA教授が言ふ。これは姉崎であらう。それを筧が引き継いだ。

「神社は焼けませぬ。焼けるのは建物です。日本国民に心から明治天皇を尊崇敬慕する熱誠さへあれば、第二第三の神宮は建立されます。」

 筧については講義の前に拍手を打つ様子ばかり伝へられ、渡邊も周囲の反応を描くが、筧の神観を知ることも大事だといふ。

宗教人からは変人扱ひされ、特に神道人からは、「筧神道」の独断と敬遠せられて居られたやうです。先生の深遠な思索と体験と生活の事実とに深切な理解の念慮のなきによると考へますが、帰するところは、これらの人々が、先生の神観に対する不理解、「神」といふ観念の一般西洋知識人的独断に囚はれてゐることによるのぢやないかと、私は考へるのであります。

 それは自宅の神殿に表れてゐて、中央に天照大御神、向って左に筧家の先祖を祀り、右に釈迦牟二、キリスト、ソクラテス孔子老子など聖賢の霊を祀った。
 この本の最後は幹事一同名義の後記で、明治天皇御製と、渡邊が口ずさんでゐた聖歌の一節が引用されてゐる。筧の神観を受け継いだ、渡邊のそれもこの中にあるやうだ。

あまてらす神の御光ありてこそわが日のもとはくもらざりけれ

ひと筋をふみて思へばちはやぶる神代の道もとほからぬかな
 
時まてばおもふことみななるものを心はながくもつべかりけり


ひとのめには すべなしと
みゆるときも 主はかならず
よきみちをば そなへたまふ
われは しんず 主 かならず
ととのへて あたへたまふ