井上孚麿のはしがきの歌

 大村襄治は大正8年生まれの衆議院議員で、防衛庁長官も務めた。『歌集 こころの鉦』(千代田永田書房、昭和50年9月5日発行、非売品)刊行時の近影には、内閣官房副長官のときのものが載ってゐる。
 大村は東京帝大で筧克彦の皇学会に入門。筧と井上孚麿に師事した。戦前に約140首、戦後に約760首、計900首も歌を詠んだといふ。集中には、

 代々木なる大神祭る旨をなみ徒(ただ)に騒ぐか競技(いくさ)人等は

 (明治神宮の外苑では、明治天皇を祭ってゐることも知らずに、スポーツ選手らが騒いでゐる)といふのもある。
 機関誌の『たまのまひゞき』も編集。戦時中の文章では、「私の歌学研究は皇国魂(みくにたましひ)の振作(ふるひおこし)を目的とした」「私の迷夢たるや筧先生を学びて筧先生に徹せざりし点に存してゐた」といったり、佐久良東雄の遺書に感動したりと、日本精神を奉じてゐたことが分かる。
 はじめに井上がはしがきを寄せてゐるが、これが7頁を費やし、本人も「支離滅裂のものとなつてしまつた」といってゐるが、いろいろ思ひ出を書いてゐる。
 筧が、助手の青木重勝と渡辺寿傳治を通して、学生相手の歌の会を開いてほしいと勧めた。はじめは気乗りしなかったが、実際は歌壇や流行の弊風に染まらない良い会になったこと、筧が勉強のし過ぎで胃腸を壊し、上州の四万温泉で療養してゐたことなどがつづられてゐる。
 そしてはしがきを材にとった和歌を5首詠んでゐる。

 はしがきを書く約束は如何にせし君が帰りは明日に迫るを

 約束の時は迫るをはしがきはいまだも成らず夜は明けむとす

 ひとたびはいづれも読みしはずなるをみなはじめてのここちこそすれ

 君がうたを読めばたのしもはしがきを書くことすらも打ち忘れつつ 

 井上の心情が面白い。


・SPA!に載ってゐた、業界用語の基礎知識みたいな記事読む。右翼業界の筆頭に、「弥栄」が紹介されてゐる。弥栄は右翼用語だったのか…。